辻さんが無事に出産したという報を聞いて素直にめでたいと思った一方で、つい我が身の来し方をしみじみと振り返ってしまった今日この頃です。まだ未練がましく千秋楽の音源を聴いています。
自分の場合、ライブの楽しみのひとつにしているのがメンバー紹介とソロ回しなのですが、演奏者による手馴れた感のある観客の扇動と、律儀に手のひらで転がされて過分に応えてみせる観客のやり取りが笑えます。世が世なら特高警察にしょっぴかれそうな光景だったことでしょう。何にでも食いつく、何でも美味しくいただく、その貪欲さや節操のなさはハロプロを取り巻く者たちの特質でありましょう。それが美質かどうかは時によりけりですが、これだけ見栄も外聞も捨て去った善意の塊のごとき反応が返ってくることは普段あまりないと思いますので、演奏者にとっては辛抱たまらんのではないですかね。悪ノリは好きなので余計に後悔が募ります。ちなみに『Naked Songs』からの付き合いの福長雅夫さんは、松浦さんのディナーショーにも引き続き参加されるそうです。関係が継続されるのは素直にうれしい。


今ツアーで印象が変わった曲は『blue bird』、『HAPPY TO GO!』です。原曲が打ち込みですから印象は違って当たり前なのですが、バンド演奏の方が適度なラフさがあって自分好みです。中島美嘉が歌っても違和感がない美メロの、要は非つんくを象徴する曲でもありそうな『灯台』も生演奏で聴いてみたかったところです。ムーグだかフェンダーローズだかの音が印象的なカッチリした曲だと思います。ちなみに小林建樹のCD持ってます。
バンドの要諦は千ヶ崎学さんのベースが握っていたように思います。自分ですら知っていたのでおそらく有名な人でしょうし、実際ちょくちょく名前を見かけるのですが、自分にとって馴染みがあるのは青山陽一朝日美穂です。千ヶ崎さんは、朝日さんの最新作である『Classics』では全曲で演奏していますし、もりばやしみほ川本真琴と組んで、レトロで甘酸っぱい3分間ポップスを確信犯的に展開したミホミホマコトにも参加しています。レコードのを意識しているのか音質がアナログっぽい。朝日さんは風変わりな曲もメロウな曲も書きますし、歌詞も繊細で叙情的なものから言葉遊びのようなものまでお手の物です。それに、美勇伝と絡んだことがある鹿島達也も朝日さんに関わりがありますし、千ヶ崎さんにおいては松浦さんのツアーに帯同までしてもらっているのですから、例えるなら親戚の親戚の友人くらいの感覚ではありますまいか。要するに関係ないということか。でも、小林建樹が絡んだのが千ヶ崎さん繋がりであるのなら期待が持てるかもしれん。


ジム・オルークが大絶賛していた記憶がある、朝日さんの2ndアルバム『Thrill March』が前作から一転して内省的になったためか、揉めたかコケたかして所属事務所の契約を打ち切られたという話を耳にしたことがあります。もともと後追いなので真偽は知りません。ついでに言えば、ディアンジェロを彷彿させるハードボイルド路線が軌道に乗らなかったのか、林檎の兄貴である椎名純平も同様の憂き目にあったはずです。ライブを見物した際に、サザンが好きなんですと言って『栞のテーマ』を熱唱していたのは笑いましたが、その雰囲気から外見にそぐわずシャイで無類にいい人なのであろうと推察しました。往時のサポートメンバーが中島美嘉に移っているのを知ったときは妙に切なくなったものです。メジャーに属するどうかが当人にとって幸せかどうかは自分の知るところではありませんが、失ったものも少なくなかったのではないかと感じています。いわゆる「アーティスト」が自分たちの主義主張を貫徹しているという見方は皮相にすぎず、我々消費者の概ね保守的なワガママと上手く付きあっていかなければならないのは、程度の差こそあれ誰しも同じなのではないかと詮なきことを思ったものでした。


長くなるので朝日さんに話を戻します。メジャーを離れて以降のアルバムから少しずつ安普請になってきたこと、さらに穿って見れば彼女のライブの印象からも、資金面であまり恵まれていないのかなあと邪推したことがあります。安普請なのはハロプロも負けず劣らずで、まあこちらは事情が異なる気がしますが、ポップスの命は鮮度ですしハロプロこそ細部よりもアイディア勝負だよなあ、ということで千ヶ崎さん繋がりで朝日さんにお願いしましょう。現場にそんな権限があるかボケという正論は受け付けておりません。ドゥーワップから唐突にカントリーに変じて高速で走り去る珍曲『ぼくの爆弾』や、ジャンクでファニーな味わいのあるファンク『momotie』や『勉強』のような、ソロではあまり見かけなくなった初期の変幻自在でポップな作風を無責任に突っ込めば面白いことになりそうです。ハロプロは投げっ放しっぽいですし、資金面でも少し自由が利くのじゃないかなあと勝手に思ってます。朝日さんの線が細い歌声だからこそ映えるような気もしますが、レトロな音楽も好きであろうと推測していますので、甘ったるいのではなく甘酸っぱい方面でもうれしいです。ハロプロでレトロと言えば『シャイニング愛しき貴方』が浮かびます。中途半端ならいざ知らず突き抜ければ新鮮に思えるのだから不思議なものです。何とか千ヶ崎さんにも踏みとどまってもらって、誰か連れてきてくれないかなあ。それもこれも結局は松浦さん次第なのかなあ、ってな妄想をウダウダするのが好きです。他にすることはないのか。

ふいにFMラジオの「FIVE STARS」にメールを送ってみようかしらんと思い立ちました。本人の視界に入る可能性があるのだから万が一にも失礼があったらいかんと、ありもしない細心の注意を以って記していたら、やたらまどろっこしい文章ができあがりました。これはあかんでー。もう少し簡潔にせねば慇懃無礼にあたるのではないかと鼻息荒く添削に励んで推敲を重ねた末に完成したのは、社内文書かと疑うほどに無味乾燥な代物でした。行間から悪意すら漂うセンスの欠片も感じられない文面にはわれながら失笑するしかなく、あえなく廃棄の運命をたどることになりました。もうダメだ。


さて、キリンビバレッジ提供の「コトバ咲く〜絆がくれたメッセージ〜」という番組に松浦さんが1ヶ月ほど出演していました。ゆかりのある人たちから送られた直筆の手紙を介して、その手紙の受け手である彼女の姿を浮かび上がらせるという趣旨の5分に満たない内容です。
送り主は、蜷川幸雄サエコ大塚範一の順番でした。不器用そうな字で「いつも私の心を捉え、手本にもなってきました」と、大真面目に記していた大塚さんの手紙がキモすぎて、遺憾ながら他人事とは思えません。それを受けて「女は30歳からだと思っているので、いい女になっていくところを見ていただきたいです」と謙遜しながらも熱を込めて語ってみせるところがまたオッサンの汚れちまった純情をくすぐるのでしょうか。さほど遠い未来ではなくなってきましたので三十路になった自分の姿だけは、あまり喜ばしくない現実として想像できてしまうのが悲しいところです。


そして最後は松浦さんの母親からの手紙でした。思わず涙声になる彼女の姿に、爪先ほどにも関係のない自分まで目がかゆくなってしまいました。判読できない箇所も多少ありますが抜粋してみます。無粋は承知の上です。

亜弥へ
あなたに手紙なんて...少し照れながら書いています
姫路を出た時 あなたはまだ中学2年生でした
顔も手も足もテニスで真っ黒に日焼けしてクラブを終えて帰ってくると
その日の出来事をあれこれたくさん話してくれて
あなたがいるだけで家の中がパーッと明るくなる そんな活発な女の子でした
そんな女の子が21才のたくましい女性へと成長しました


7年間よく頑張ったね
熱が高くて立っているのもやっとな状態の時でも生番組で楽しそうにトークして
声を出すのも辛いのに元気いっぱい唄ってみせる
そんなあなたに親として「ガンバッテ」としか言ってあげられないことが辛く
情けなく思ったこともありました


亜弥 ごめんね あなたのそばにいてあげられなくて
結局ママはあなたに何もしてあげられなかった
あなたからはたくさんの感動や喜びをもらったのに
もう遅いかもしれないけど もうママじゃ頼りないかもしれないけど
何かあった時は ひとりで抱え込まないで相談してね
いくつになっても亜弥はママの可愛い娘なのですから ママより


だから何だと言われればそれまでですし、別に何かを言いたいわけでもありません。とりあえず、わけのわからん社内文書なんぞ送りつけなくてよかったと心の底から思っただけです。無粋ついでに、悩んでいたときに母親に何気なく言われた言葉も追加しておきます。気持ちが楽になるきっかけとなったと『笑顔』のエピソードとして語っていました。

別に私 あんたにビッグになれ スターになれって言ったおぼえないけど
でもあんたは自分が楽しいと思うことやってて 私はそれを応援するから
あんたが生きて笑ってさえいてくれればそれでいいんだけど


今ツアーの千秋楽ではサプライズとして『可能性の道』が披露されたそうです。例によって音源を盗み聴きました。
サビの一部ではマイクを用いず、直接的に観客と歌声を交歓する演出だったとのことです。久方ぶりの原曲キー(たぶん)の演奏への順応が遅れたのか、入りの音程を豪快に外して途中までヘロヘロです。また、音源だけで判断すれば演奏も含めて微妙だと思わなくもないのですが、会場にこだまする多幸感にあふれた大合唱を耳にすれば、巧拙云々なぞ瑣末事にすぎないのだと気づかされます。
『可能性の道』は、病めるときも健やかなるときも松浦さんと共にあり、これまで幾度となく節目において歌われてきた曲です。ひときわ鮮烈に蘇るのが、かつての病めるときの姿なのは自分の後ろ向きな性格ゆえですが、それもあって当曲をライブで耳にするたびに「立派になったなあ」と、意味のわからない感慨にふけってしまいます。会場に足を運んだ人にこそ喚起させる何かがあったのでしょう、この瞬間だけは、歌い手と観客の間にある侵すべからざる一線を双方が半歩だけ歩み寄ったのではないかと想像します。合わせてようやく一歩に足る、そんな距離感こそが幸福な関係なのかもしれません。バンマス兼ギターの菊池真義さんが松浦亜弥をして「すばらしいボーカリストです」と述べていたように、何よりも歌うことの歓びに満ちあふれる姿が印象に残るツアーだったように思います。


些細なことながら、もう一つ印象に残っていることがあります。「ありがとう」ではなく「またね」という言葉を残してステージを後にしていたことです。ライブにおいて演者に「ありがとう」を連呼されるのが自分はあまり好きではありません。もちろん悪い気はしませんし、双方の合意の上での必須マナーだとは承知しています。しかし、相手が誰であれ当方は受け手にすぎませんし、そもそも自ら好んで足を運ぶのですから感謝はお互い様ですよ、という屁理屈めいた面倒くさい感情があるのです。
それはどうでもいいのです。出来合いの価値観に納まり、自分らしさに安堵してしまっているように思えることもあります。ともすれば矮小化につながりかねないものですから松浦さんの全てを肯定するわけではありません。その一方で、その是非は措いて、前述した「生きて笑ってさえいてくれれば」のような、自分が言うと不遜かつ噴飯ものの感情も一億分の一くらいは持ち合わせるようになってしまいました。欲望は尽きぬもので、現実離れした己の妄想を膨らませれば際限はないのですが、まだまだ詰めるところは残されているように思います。だからこそ、千秋楽でも一貫して「またね」という言葉を最後に選択した松浦亜弥のこれからに期待してしまうのです。これを自分なりの感謝の言葉にしたいと思います。お疲れさまでした。

検索ワード「ドラマーの髪型」で不毛の地に漂着したお悩みのあなた、好きにしたらええんとちゃいますか。


『笑顔』のC/Wである『あなたに出逢えて』を。
カバー曲という理由だけで存在を忘れかけていたくせに、改めて聴くと妙に心地よく響いてきます。メロディの持つ力と、紡がれることで命を宿す歌詞の力に全幅の信頼を寄せ、惑うことなく楽曲を牽引していく姿勢の凛とした、ある種の古風さに共振するものがあるからでしょうか。地声で楽に出せる音にファルセットを織りまぜて軽さを演出するさりげない所作の内に、現在の松浦さんの歌心がしのばれます。自我が先立つ彼女には「趣味のいい」音楽は合いづらいと思っていただけに、違和なく溶け込んでいるのが意外といえば意外でした。そういえばまだ21才だったんだよなと、脈絡のない戯れ言をつぶやきそうになってしまいます。じゃあどんな風に眺めていたのかと問われても返答に窮すばかりで判然とせず、そもそも自分は何様なのかと思わないでもないですが、ともかく虚を衝かれたような気分になったのです。


困ったときのカバー曲という安易さはありません。そもそもハロプロはカバー曲に関してはどれもクソ真面目です。谷村有美さんは知らないに等しいのですが、月並みな物言いなれど、瑞々しい感性が匂い立つような端正かつ理知的な曲だと思います。生っぽさを抑えながらも人肌の温もりを残したスムースなトラック、特にフュージョン風のフレットレスベースの音色が印象に残ります。低音域を度外視した演奏が気になってクレジットを見ると、ベース奏者はArmy Slickという自分の知らない人でした。ジャコパスが思い浮かんだので照合すべくCDを引っ張り出したのですが、別に似ていませんでしたので気にせず続けます。どうやら彼はハウスのプロデューサーをメインとしながら、メジャーとアングラの双方を行き来する才人のようです。不案内なのでハウス風かどうか自分にはわかりません。また、ハウス音楽ですぐに名前が浮かぶのは、デリック・メイ、ジョー・クラウゼル、カーム、ムーディーマンなどの有名な方たちだけというヘボさです。でもムーディーマンは掛け値なしにカッコいいと思います。ともあれ、どのような繋がりかは存じませんが、こうした異色の存在こそ大切にしてほしく思います。また、主旋律をベースで奏でても浮いて聴こえないのは、音の隅々まで神経を行き届かせている上野圭市・高岡弘隆両名のアレンジ及びプロダクションが秀逸だからではないでしょうか。いつになく松浦さんの歌声に潤いを感じるのもそれゆえなのかもしれません。説教臭さを気にしなければ『笑顔』もいい曲だと思いますし、同じ路線で行くなら、最低限このクオリティ水準は死守してほしいところです。


それにしても「あなたに出逢えてあしたが待ち遠しくなった」なんて濡れた瞳で歌われちゃあ、オジサン年甲斐もなく胸キュンしちゃうなあ、心はいつまでも15才のままさグフフと残り少ない純情の欠片を拾い集めてキモい妄想にふけっていたところ、ちょうどラジオで松浦さんの曲紹介が入ります。


「素直な女の子です。恋愛しているときはこうならなくちゃいけないんだ・・・できない!ガハハハハ」


できんのかい。純情を返しやがれ。

アルバム単位に限定して大ざっぱに言えば、モーニング娘。の『3rd -LOVEパラダイス-』を最後にハロプロ全体の音質が変化し、それは大筋で変わることなく現在に至っているように思います。以前に総合的な楽曲大賞が催されたようで、アルバム部門では『いきまっしょい』が1位になっていました。誰もが納得する結果であって意義を差し挟む気は毛頭ありません。ただ、前述の理由から、個人的に推すにはどこか引っかかるアルバムであったりもします。松浦亜弥の『ファーストKISS』も、「それ以降」の時期に含まれるわけですが、個人に傾きがちな思いを別にして、エンジニアの名前を参照しながら重箱の隅をつついてみるのもまた一興かもしれません。


安倍・松浦両名のアルバムの多くの面で作曲者や編曲者が共通するのは把握していましたが、レコーディング関連のエンジニアまでとは知りませんでした。July Studioで録音されているのでしょう、『25〜ヴァンサンク〜』と『Naked Songs』ではその名が頻出しています。もはやAbbey Road Studioに比肩しうる聖地であります。山師の皆さんこんにちは、なんだか金の匂いがしてきましたぜ。しませんかそうですか。
比較できるサンプルがないので推測にすぎませんが、いやそうでなくとも推測ですが、全体の音質面では、双方のアルバムに共通しているレコーディングプロデューサーの加藤勇人さん、あるいは柳沢武志さん辺りの力が大きいのではないでしょうか。芯を残した録音、特に生演奏の場合は各楽器の質感が大切にされているように思えます。ミキシングとマスタリングの違いすら判然としない自分が言うのもおこがましいのですが、音質も演出の大きな要素であって、それも含めて一つの音楽でありましょう。奇矯さや過剰さがないのでハロプロらしさが希薄で味気ないと感じる人がいるのは、自分にもなくはない感覚なのでわかるのですが、どちらかと言うとハロプロらしくない音の方に慣れているためか耳に馴染みやすくもあります。ところで『ダブルレインボウ』にエンジニアの名前が載っていないのは、つまりアレなんですかね。アレってなんだ。ともあれ、第一印象や鋭角的な刺激といった瞬間性の創出に情熱を傾ける、いわば男根的な現在のつんくプロデュースとは目指すところが違うので共存は難しいのかもしれませんね。
その男根的な思想の庇護のもとで「女の子らしさ」を演じるという倒錯こそが昔から変わらぬアイドルの魅力なのでしょう。前線がワンダに移行して久しいこともありますが、ためらうことなくロマンを投影できるワンダの楽曲が、理屈ぬきにキラキラしているのは自然な成りゆきだと思います。享受する側もわかっているのでお互い様ということです。古典的であるからこそ根強いこの感覚は、自分も松浦亜弥を通して享受してきたので理解できます。もちろん演じ手の魅力があってこそなのも承知しています。逆に作り手が「女らしさ」を志向すればするほど当人にとっての現実感を喪失していく奇妙なねじれは、はからずも安倍なつみ松浦亜弥が同様の道を選択し、後藤真希が音楽性の違いを唱えたところで矛盾として噴出しました。双方が堰を切ったように歌詞に込めた情熱を語りだしたのは決して偶然ではないでしょう。そこに共通しているのは永遠なるものへの願いであるのかもしれません。ええ、話が逸れるのはいつものことです。

引き続きラジオの過去音源をチマチマと聞いています。
『ダブルレインボウ』発売の1ヶ月前、9月4日の時点で当アルバムの収録曲は4曲しか完成していなかったという今さらな裏話が飛び込んできました。ディレクターの顔が青ざめていたという話がありましたから、強行スケジュールで製作されたことは確かなようです。単に間に合わせただけのような曲もなくはないので、滑りこみセーフの曲はアレかコレかと鼻息荒く指差してみようかと思いましたが、我ながら根暗すぎる妄想なので自粛します。それにしても、つんくプロデュースを離れても意外に時間の余裕はないものなんですね。つんくが融通無碍すぎるだけなのかもしれませんが、ともあれ、先にセットリストありきで平行してライブの準備が進められていたであろうこと、アルバムを引っさげながらも披露されていない曲があること、リハーサル期間の短さ、公演ごとにバンドメンバーが次々と交代するライブ形態など、残っていた瑣末な疑問点がようやく氷解したような気がします。
泣いても笑っても残すは次の公演のみ、無事にツアーを終え、センターイン踊りに興じながら酒ビン片手にスタッフに絡みつく松浦さんの背中に、やり遂げた充足感と充たされぬ寂しさが相半ばして滲まんことを願います。そうしたら次を考えればいいだけの話です。


歌は集中的に4日間かそこらで録り終えたらしいのですが、レコーディングに要する時間が短いのはデビュー当時から言われていたことですから驚くにはあたりません。ハロプロ自体のシステムが元々そんなものなのかもしれませんが。蛇足の『dearest』を除けば隠れた傑作と称しても過言ではない『Naked Songs』がほぼ一発録りだったこと、また『ラッパと娘』に要した時間が30分だったことから察するに、彼女の場合は瞬発力こそが大切であり、やみくもに時間を費やしてもさほど意味がないということなのかもしれません。きっと当の本人が真っ先に飽きてしまうのでしょう。細工を拒絶する「歌のうまさ」は諸刃の剣でもあって再考の余地はまだ残されているように思いますが、ともあれ、松浦さんのアルバムは、刹那に飛散して二度とは戻らない初々しさを愛でるのが吉なのでしょう。その儚さに息を漏らすのもまたひとつの見識です。別に儚くはないか。
コレだ!と思ったメロディや歌詞は5分もあれば覚えられるから大丈夫と豪語し、不測の事態には慣れっこなのだよチミと言わんばかりの明快な口調で、出来栄えにご満悦だったのが何とも松浦さんらしいと申しましょうか。逆にピンとこない曲は覚えるのに時間がかかる、歌詞に意味がなければ歌えない、などと一言多いのも彼女たる所以であります。ライブで歌い込むほどに成長を遂げていくのもまた過去と同様です。断絶しているかのようで、その実、たしかに日常への扉に通じている彼女ならではの空間でこそ脈動するものがきっとあるのでしょう。


一時期、作詞に関わるべきか否か松浦さんが迷っていましたが、現在は、他者の内世界を己の色に染め上げてみせるのもまた職業歌手だと確信しているような風情です。単に歌うことが楽しいだけとも言う。松任谷由美に笑えるほど無慈悲に一蹴されりゃあ腹も据わりますわな。そのためか、アルバム完成までの全体の制作期間を問うDJと、歌のレコーディング期間のみを熱弁する彼女との意識のズレが甚だしい場面も見受けられました。一転して製作過程には興味がなくなるのかと、いちいち極端なのがさすがです。とは言っても、少しずつ詩を書き留めるようにはしているらしいのです。しかし誰に見せるわけでもない日記すら恥ずかしがるような過剰な自意識が効きすぎるブレーキとなるらしいので、松浦さん曰く「自分の生活や考え方が見られるようで恥ずかしい」詩が日の目を見ることは当分先のことになりそうです。ライブやラジオで見せる、井戸端話に興ずるオバハン風の姿とは似ても似つかず、存外に腹がよじれるほど乙女チックな代物であろうと予想しています。これまで作詞してほしいと記したことは一度もありませんし、それよりも身を委ねるに足るプロデューサーを求めるのが先決だと思っていますので、正直、彼女の乙女ポエムに関しては今のところ興味はございません。いえ、実現したらしたで、喜色満面で人知れず神棚に飾って三度の礼拝を毎日欠かさずに決まっていますが、それを直接的に口にするのがどうにも気恥ずかしくて、ケチをつけてみるか遠回しにならざるをえないのが自分の面倒くさいところなのです。中学生か。

部屋の隅でほこりをかぶっていたラジオ番組をぼちぼち聞いております。様々な経験を経たことでようやく自分が曲に追いついた、とは既に何度か耳にしている言葉ですが、その中に恋愛経験も、とボソッと付け加えられるアイドルはそうザラにはいますまい。男前だなあ。周囲も別段あわてず、つつがなく進行していく様に時の流れを感じます。意味深と取れなくもない歌詞が多いアルバムの営業トークだけに、一体どれほどの修羅場をくぐってきたのだろうかと気にな・・・らないな別に。
一時期に比べると随分と情報に疎くなりましたので「Five Stars」とかいうFM番組がはじまっていたことすら知りませんでした。エンディング曲となっているオルガン主体のジャズファンクがモロに自分好みです。さすがFMと言うべきか、牧歌的だったオールナイトニッポンが恋しくなるほどBGMが垢抜けています。この手の、生々しさを適度に残した音が松浦さんに合うのではないかと勝手に思っているのですが、どんなもんでしょうか。オルガンの似合う歌手って問答無用でカッコいいよなあ。


さて、スタンダードなソウル風ポップスの『ソウルメイト』はアルバムの中で1.2位を争うほど好きな曲なのですが、当番組で流れたのを聴いて、やはりこのメロディ好きだなあと再確認した次第です。ちなみに現時点で争っているもう一方は、オサレなメロディと心地いい転調が印象的な『blue bird』です。似ているわけではないのですが、どこか初期の名曲『待ち合わせ』を彷彿させるものがあります。あえて隙間を残して風通しを良くしたアレンジ、そして松浦さんの歌声を曲に溶かし込むために施したと思われる丁寧なコーラスワークが秀逸です。
『ソウルメイト』に話を戻します。スティービー・ワンダーのライブを観に行き、雑誌のインタビューでも彼の新譜をお気に入りに挙げていたような気がしますので、この選曲は明らかに松浦さんの意向であろうと妄想しています。おぼろな記憶をたどると、いまや松浦さんにとってのお姉さん的存在となったらしいaikoさんにも似た曲調がありましたから、もしかすると彼女の影響を受けてのことかもしれません。この手のジャンルは上手くて当たり前の世界だと思います。もう少し歌声に柔軟さや余裕が出てくれば、今後取りうる選択肢の有力候補になりそうです。それだけにCDで聴くと、どこか他人行儀に聴こえてしまうのが惜しまれるところです。いっそスティービー・ワンダーそのまんまの濃密な音にして歌声と演奏を拮抗させてみればどうだったろうと思わぬでもないのですが、まあ、丁寧なればこそ発生してしまうこの辺りのズレは今にはじまったことではありません。ここは松浦さん参加のセッションで骨組だけ作って、あとは編集でいじり倒して曲を完成させる、そんなクラムボンあたりがやってそうな手法を採ってみてはどうでしょうか。いや、どうでしょうかと言われても困ります。


松浦さんの交友関係もちらほらと。
落ち込むことがあるととaikoさんに相談に乗ってもらっているそうです。実際、年上を相手にしたほうが気楽に話せることってありますし、甘え下手であろう松浦さんなら尚のことではないかと推察します。自分から相談を持ちかけておきながら、肝心の忠告には一向に耳を貸さない面倒くさい人だと思いますが今後ともお願いします。一体誰のことかと申しますと、それは他ならぬ自分のことであります。B型でどうもすみません。血液型診断なぞ信じてはいませんが暗示にはすぐかかってしまうのです。
ところでオンエアーされたaikoさんお『恋愛』という曲が一風変わっているような気がしてなりません。うかつに手を出すと火傷しそうで、松浦さんに曲を提供してくださいとお願いしかねる雰囲気になってまいりました。特に終始音あたりが奇怪に思えてならぬのですが、自分ではわからないので、どなたか猿でもわかるような解説をお願いします。あとは、カッコいいにもほどがあるダルビッシュ兄さんとサエコさんの交際を随分前から知っていたとか何とか。そりゃあ友人なら知ってますわな。サエコ友人説を狂言の類いだと思っていた不埒な自分をお許しください。いっそダルビッシュ兄さんに日ハムの選手でも紹介してもらってはどうでしょう。森本選手なんかどうよ、彼はいまどき珍しいくらい気立てのいい好青年だぞ、失敬だな男は顔ではないのだよ・・・先生、今度生まれてくるときは、ダルビッシュに生まれるか、南ちゃん家の隣に生まれたいです。

わはははは、生理用品のCMですか。
思えば遠くまで来たもんだと感慨にふけらないではなく少し驚きはしたのですが、昔ならいざ知らず不思議と違和感はありません。むしろCMの新規需要がまだあったことが驚きです。巡り巡って松浦さんの歌手活動に何らかの形でプラスになれば幸いです。


そんなこんなで野郎共は置いてきぼり感がものごっついわけですが、なればこそ近い将来、性別を問わずセンターインの着用がライブで義務化されることは必定であります。しかし、公平かつ厳正なチェックを入国時に実施すれば、たちまち辺りは死屍累々、草木も生えぬ腐海となり果てましょう。腐海は世界を浄化しているんだという正論は受けつけておりません。もはや我々は不浄の世界でしか生きていけぬ身体になってしまったのです。正論なぞに何の意味がありましょう。
屍を越えた者のみが天上世界に足を踏み入れる資格を得る、そんな甘くて危険な誘惑にこそ駆られてしまうのが哀しき人の業ですが、自分はともかく生還に不安を抱く人もあろうかと考えましたので、あらゆる状況を想定した上で磨き上げた腹案を代わりに出しましょう。入国時に全員に配布するという超現実的な方策を提案します。いつの世も正論はつまらぬものなのです。我らがムダに育んできた同属嫌悪と紙一重のチームワークを活用し、近接する同朋たちと絆の証を確かめ合おうではありませんか。皆が互いにまさぐりあう光景の何と涙を誘うことか。会場にうごめくオッサンの全てが着用しているのかと想像するだけで酸っぱいものが喉元から込み上げてきます。そして、来たるべきときに全員がセンターインを慣れた手つきでサッと取り出して一斉に中空に投げ放つ、矢沢永吉も真っ青な前人未到の光景が現出するのはもはや時間の問題でありましょう。タオルがぼったくり価格で泣けます。幸いにして同朋の生温かいそれが顔面に不時着した刹那の恍惚を思うと身震いが止まりません。お布施を募るキラーグッズとして販売された暁には、老いも若きも男も女も我先にと列をなすに違いありません。吸収力と携帯力がものごっついそうなので、常用の汗ふきにも女性の気持ちがわかるんだぜアピールにも使える便利極まるこの代物、値段がさっぱりわかりませんが奮発して1個千円でどうでしょうか。何てしたたかな女なんだ。
紳士たるものはコナカでなければならぬという信条を打ち捨てて青山に忠誠を誓った自分であります。遅れをとってはご先祖様に申し訳が立ちません。そろそろテキトーさが目立ってきましたが、それはさておき、全ては凡人には到底理解できぬ崇高な、あまりに崇高な理想を実現するための序曲にすぎぬのですから、皆様ゆめゆめ誤解なさらぬように。ハァハァ。