ふいにFMラジオの「FIVE STARS」にメールを送ってみようかしらんと思い立ちました。本人の視界に入る可能性があるのだから万が一にも失礼があったらいかんと、ありもしない細心の注意を以って記していたら、やたらまどろっこしい文章ができあがりました。これはあかんでー。もう少し簡潔にせねば慇懃無礼にあたるのではないかと鼻息荒く添削に励んで推敲を重ねた末に完成したのは、社内文書かと疑うほどに無味乾燥な代物でした。行間から悪意すら漂うセンスの欠片も感じられない文面にはわれながら失笑するしかなく、あえなく廃棄の運命をたどることになりました。もうダメだ。


さて、キリンビバレッジ提供の「コトバ咲く〜絆がくれたメッセージ〜」という番組に松浦さんが1ヶ月ほど出演していました。ゆかりのある人たちから送られた直筆の手紙を介して、その手紙の受け手である彼女の姿を浮かび上がらせるという趣旨の5分に満たない内容です。
送り主は、蜷川幸雄サエコ大塚範一の順番でした。不器用そうな字で「いつも私の心を捉え、手本にもなってきました」と、大真面目に記していた大塚さんの手紙がキモすぎて、遺憾ながら他人事とは思えません。それを受けて「女は30歳からだと思っているので、いい女になっていくところを見ていただきたいです」と謙遜しながらも熱を込めて語ってみせるところがまたオッサンの汚れちまった純情をくすぐるのでしょうか。さほど遠い未来ではなくなってきましたので三十路になった自分の姿だけは、あまり喜ばしくない現実として想像できてしまうのが悲しいところです。


そして最後は松浦さんの母親からの手紙でした。思わず涙声になる彼女の姿に、爪先ほどにも関係のない自分まで目がかゆくなってしまいました。判読できない箇所も多少ありますが抜粋してみます。無粋は承知の上です。

亜弥へ
あなたに手紙なんて...少し照れながら書いています
姫路を出た時 あなたはまだ中学2年生でした
顔も手も足もテニスで真っ黒に日焼けしてクラブを終えて帰ってくると
その日の出来事をあれこれたくさん話してくれて
あなたがいるだけで家の中がパーッと明るくなる そんな活発な女の子でした
そんな女の子が21才のたくましい女性へと成長しました


7年間よく頑張ったね
熱が高くて立っているのもやっとな状態の時でも生番組で楽しそうにトークして
声を出すのも辛いのに元気いっぱい唄ってみせる
そんなあなたに親として「ガンバッテ」としか言ってあげられないことが辛く
情けなく思ったこともありました


亜弥 ごめんね あなたのそばにいてあげられなくて
結局ママはあなたに何もしてあげられなかった
あなたからはたくさんの感動や喜びをもらったのに
もう遅いかもしれないけど もうママじゃ頼りないかもしれないけど
何かあった時は ひとりで抱え込まないで相談してね
いくつになっても亜弥はママの可愛い娘なのですから ママより


だから何だと言われればそれまでですし、別に何かを言いたいわけでもありません。とりあえず、わけのわからん社内文書なんぞ送りつけなくてよかったと心の底から思っただけです。無粋ついでに、悩んでいたときに母親に何気なく言われた言葉も追加しておきます。気持ちが楽になるきっかけとなったと『笑顔』のエピソードとして語っていました。

別に私 あんたにビッグになれ スターになれって言ったおぼえないけど
でもあんたは自分が楽しいと思うことやってて 私はそれを応援するから
あんたが生きて笑ってさえいてくれればそれでいいんだけど


今ツアーの千秋楽ではサプライズとして『可能性の道』が披露されたそうです。例によって音源を盗み聴きました。
サビの一部ではマイクを用いず、直接的に観客と歌声を交歓する演出だったとのことです。久方ぶりの原曲キー(たぶん)の演奏への順応が遅れたのか、入りの音程を豪快に外して途中までヘロヘロです。また、音源だけで判断すれば演奏も含めて微妙だと思わなくもないのですが、会場にこだまする多幸感にあふれた大合唱を耳にすれば、巧拙云々なぞ瑣末事にすぎないのだと気づかされます。
『可能性の道』は、病めるときも健やかなるときも松浦さんと共にあり、これまで幾度となく節目において歌われてきた曲です。ひときわ鮮烈に蘇るのが、かつての病めるときの姿なのは自分の後ろ向きな性格ゆえですが、それもあって当曲をライブで耳にするたびに「立派になったなあ」と、意味のわからない感慨にふけってしまいます。会場に足を運んだ人にこそ喚起させる何かがあったのでしょう、この瞬間だけは、歌い手と観客の間にある侵すべからざる一線を双方が半歩だけ歩み寄ったのではないかと想像します。合わせてようやく一歩に足る、そんな距離感こそが幸福な関係なのかもしれません。バンマス兼ギターの菊池真義さんが松浦亜弥をして「すばらしいボーカリストです」と述べていたように、何よりも歌うことの歓びに満ちあふれる姿が印象に残るツアーだったように思います。


些細なことながら、もう一つ印象に残っていることがあります。「ありがとう」ではなく「またね」という言葉を残してステージを後にしていたことです。ライブにおいて演者に「ありがとう」を連呼されるのが自分はあまり好きではありません。もちろん悪い気はしませんし、双方の合意の上での必須マナーだとは承知しています。しかし、相手が誰であれ当方は受け手にすぎませんし、そもそも自ら好んで足を運ぶのですから感謝はお互い様ですよ、という屁理屈めいた面倒くさい感情があるのです。
それはどうでもいいのです。出来合いの価値観に納まり、自分らしさに安堵してしまっているように思えることもあります。ともすれば矮小化につながりかねないものですから松浦さんの全てを肯定するわけではありません。その一方で、その是非は措いて、前述した「生きて笑ってさえいてくれれば」のような、自分が言うと不遜かつ噴飯ものの感情も一億分の一くらいは持ち合わせるようになってしまいました。欲望は尽きぬもので、現実離れした己の妄想を膨らませれば際限はないのですが、まだまだ詰めるところは残されているように思います。だからこそ、千秋楽でも一貫して「またね」という言葉を最後に選択した松浦亜弥のこれからに期待してしまうのです。これを自分なりの感謝の言葉にしたいと思います。お疲れさまでした。