引き続きラジオの過去音源をチマチマと聞いています。
『ダブルレインボウ』発売の1ヶ月前、9月4日の時点で当アルバムの収録曲は4曲しか完成していなかったという今さらな裏話が飛び込んできました。ディレクターの顔が青ざめていたという話がありましたから、強行スケジュールで製作されたことは確かなようです。単に間に合わせただけのような曲もなくはないので、滑りこみセーフの曲はアレかコレかと鼻息荒く指差してみようかと思いましたが、我ながら根暗すぎる妄想なので自粛します。それにしても、つんくプロデュースを離れても意外に時間の余裕はないものなんですね。つんくが融通無碍すぎるだけなのかもしれませんが、ともあれ、先にセットリストありきで平行してライブの準備が進められていたであろうこと、アルバムを引っさげながらも披露されていない曲があること、リハーサル期間の短さ、公演ごとにバンドメンバーが次々と交代するライブ形態など、残っていた瑣末な疑問点がようやく氷解したような気がします。
泣いても笑っても残すは次の公演のみ、無事にツアーを終え、センターイン踊りに興じながら酒ビン片手にスタッフに絡みつく松浦さんの背中に、やり遂げた充足感と充たされぬ寂しさが相半ばして滲まんことを願います。そうしたら次を考えればいいだけの話です。


歌は集中的に4日間かそこらで録り終えたらしいのですが、レコーディングに要する時間が短いのはデビュー当時から言われていたことですから驚くにはあたりません。ハロプロ自体のシステムが元々そんなものなのかもしれませんが。蛇足の『dearest』を除けば隠れた傑作と称しても過言ではない『Naked Songs』がほぼ一発録りだったこと、また『ラッパと娘』に要した時間が30分だったことから察するに、彼女の場合は瞬発力こそが大切であり、やみくもに時間を費やしてもさほど意味がないということなのかもしれません。きっと当の本人が真っ先に飽きてしまうのでしょう。細工を拒絶する「歌のうまさ」は諸刃の剣でもあって再考の余地はまだ残されているように思いますが、ともあれ、松浦さんのアルバムは、刹那に飛散して二度とは戻らない初々しさを愛でるのが吉なのでしょう。その儚さに息を漏らすのもまたひとつの見識です。別に儚くはないか。
コレだ!と思ったメロディや歌詞は5分もあれば覚えられるから大丈夫と豪語し、不測の事態には慣れっこなのだよチミと言わんばかりの明快な口調で、出来栄えにご満悦だったのが何とも松浦さんらしいと申しましょうか。逆にピンとこない曲は覚えるのに時間がかかる、歌詞に意味がなければ歌えない、などと一言多いのも彼女たる所以であります。ライブで歌い込むほどに成長を遂げていくのもまた過去と同様です。断絶しているかのようで、その実、たしかに日常への扉に通じている彼女ならではの空間でこそ脈動するものがきっとあるのでしょう。


一時期、作詞に関わるべきか否か松浦さんが迷っていましたが、現在は、他者の内世界を己の色に染め上げてみせるのもまた職業歌手だと確信しているような風情です。単に歌うことが楽しいだけとも言う。松任谷由美に笑えるほど無慈悲に一蹴されりゃあ腹も据わりますわな。そのためか、アルバム完成までの全体の制作期間を問うDJと、歌のレコーディング期間のみを熱弁する彼女との意識のズレが甚だしい場面も見受けられました。一転して製作過程には興味がなくなるのかと、いちいち極端なのがさすがです。とは言っても、少しずつ詩を書き留めるようにはしているらしいのです。しかし誰に見せるわけでもない日記すら恥ずかしがるような過剰な自意識が効きすぎるブレーキとなるらしいので、松浦さん曰く「自分の生活や考え方が見られるようで恥ずかしい」詩が日の目を見ることは当分先のことになりそうです。ライブやラジオで見せる、井戸端話に興ずるオバハン風の姿とは似ても似つかず、存外に腹がよじれるほど乙女チックな代物であろうと予想しています。これまで作詞してほしいと記したことは一度もありませんし、それよりも身を委ねるに足るプロデューサーを求めるのが先決だと思っていますので、正直、彼女の乙女ポエムに関しては今のところ興味はございません。いえ、実現したらしたで、喜色満面で人知れず神棚に飾って三度の礼拝を毎日欠かさずに決まっていますが、それを直接的に口にするのがどうにも気恥ずかしくて、ケチをつけてみるか遠回しにならざるをえないのが自分の面倒くさいところなのです。中学生か。