アルバム単位に限定して大ざっぱに言えば、モーニング娘。の『3rd -LOVEパラダイス-』を最後にハロプロ全体の音質が変化し、それは大筋で変わることなく現在に至っているように思います。以前に総合的な楽曲大賞が催されたようで、アルバム部門では『いきまっしょい』が1位になっていました。誰もが納得する結果であって意義を差し挟む気は毛頭ありません。ただ、前述の理由から、個人的に推すにはどこか引っかかるアルバムであったりもします。松浦亜弥の『ファーストKISS』も、「それ以降」の時期に含まれるわけですが、個人に傾きがちな思いを別にして、エンジニアの名前を参照しながら重箱の隅をつついてみるのもまた一興かもしれません。


安倍・松浦両名のアルバムの多くの面で作曲者や編曲者が共通するのは把握していましたが、レコーディング関連のエンジニアまでとは知りませんでした。July Studioで録音されているのでしょう、『25〜ヴァンサンク〜』と『Naked Songs』ではその名が頻出しています。もはやAbbey Road Studioに比肩しうる聖地であります。山師の皆さんこんにちは、なんだか金の匂いがしてきましたぜ。しませんかそうですか。
比較できるサンプルがないので推測にすぎませんが、いやそうでなくとも推測ですが、全体の音質面では、双方のアルバムに共通しているレコーディングプロデューサーの加藤勇人さん、あるいは柳沢武志さん辺りの力が大きいのではないでしょうか。芯を残した録音、特に生演奏の場合は各楽器の質感が大切にされているように思えます。ミキシングとマスタリングの違いすら判然としない自分が言うのもおこがましいのですが、音質も演出の大きな要素であって、それも含めて一つの音楽でありましょう。奇矯さや過剰さがないのでハロプロらしさが希薄で味気ないと感じる人がいるのは、自分にもなくはない感覚なのでわかるのですが、どちらかと言うとハロプロらしくない音の方に慣れているためか耳に馴染みやすくもあります。ところで『ダブルレインボウ』にエンジニアの名前が載っていないのは、つまりアレなんですかね。アレってなんだ。ともあれ、第一印象や鋭角的な刺激といった瞬間性の創出に情熱を傾ける、いわば男根的な現在のつんくプロデュースとは目指すところが違うので共存は難しいのかもしれませんね。
その男根的な思想の庇護のもとで「女の子らしさ」を演じるという倒錯こそが昔から変わらぬアイドルの魅力なのでしょう。前線がワンダに移行して久しいこともありますが、ためらうことなくロマンを投影できるワンダの楽曲が、理屈ぬきにキラキラしているのは自然な成りゆきだと思います。享受する側もわかっているのでお互い様ということです。古典的であるからこそ根強いこの感覚は、自分も松浦亜弥を通して享受してきたので理解できます。もちろん演じ手の魅力があってこそなのも承知しています。逆に作り手が「女らしさ」を志向すればするほど当人にとっての現実感を喪失していく奇妙なねじれは、はからずも安倍なつみ松浦亜弥が同様の道を選択し、後藤真希が音楽性の違いを唱えたところで矛盾として噴出しました。双方が堰を切ったように歌詞に込めた情熱を語りだしたのは決して偶然ではないでしょう。そこに共通しているのは永遠なるものへの願いであるのかもしれません。ええ、話が逸れるのはいつものことです。