あまり大きな声では言えませんが、アルバム発売記念イベントの歌部分のみならずトーク部分もくすねてきました。ありがたやありがたや。MCを務めたヨッピーがヲタすぎて泣けます。
行ってもいないくせにムダに長い。


「ダブルレインボウ」ツアーの話。
今ツアーのリハーサル期間が6日間だけだったと述べています。それが短いのか適切な期間なのか知りませんが、松浦さん自身はリハーサルがあまりお好きじゃないらしく、ひとりさっさと切り上げようとするのでバンドは大変だそうです。さもありなん。
大阪ではじめて見物したときに、いささか演奏がたどたどしく感じられたので準備不足を懸念したものですが、加えて、変則的で中途半端とも思える形態を採ったことや、原曲に忠実な演奏だったことも納得できた気がします。いやいや、またぞろ理不尽なイチャモンをつけたいわけではありません。歌手・松浦亜弥を前面に打ち出した過去最高の「進化ノ季節・・・」を踏まえた上で、今ツアーは彼女のポップな側面を強調してみせたエンターテイメント性の高いライブになっていると思います。ことさらに小難しく見せないのもまた経験のなせるわざでしょう。誤解を承知で言えば、どちらにも針を振ることができる中庸が彼女の魅力だと思います。つまり振り切れはしないということでもあるのですが、両方を観て両方ともに物足りなさを感じるのであれば、残念ながらご縁がなかったということでしょう。
ちなみに自分が見物した東京厚生年金会館の夜公演では、演奏の質が上がっていて安心しました。大阪とは印象が違うなあと思ったら、リズム隊がおなじみの長堀・千ヶ崎ペアに変わっていたのでした。この二人好きです。彼らの演奏に呼応したのでしょうか、今にして思えば荒っぽく感じられた松浦さんの歌声もみちがえるように柔軟になっていました。進化や成長という大仰なものではなく、メンバーと共に呼吸できている感じとでも申しましょうか。公演を重ねたからこそ、ようやく生まれはじめた一体感でもありましょう。これがバンドの良さですね。


ボイトレの話。
歌声が1年半くらい前から急に安定したように感じて、レッスンにでも通いはじめたのかなとの感想を以前に記しました。実際、出たとこ勝負だった時期に比べると高値安定の状態が続くようになったと思います。そのため、ひそかに我が自説ならぬ妄想に自信を深めていたのですが特に通ったことはないそうです。己のバカ耳を信じてしまった自分がアホでした。
ボイトレは先生によってクセがあるらしく、興味はあっても自分に合った先生にまだ巡りあえていないとのことです。声量に少し余裕が出てきたような気がしていたのですが、さりとて特に練習したわけでもないらしく、要は気持ちだよ気持ちの一言で片付けられてしまいました。そういうもんなんですかね。プロの矜持ゆえの秘めごとか、はたまた単なる事実か。バカ耳は信用できんからやはり後者かな。
ボイトレは場合によっては個性が失われることがあるとの話を耳にしたことがありますし、また、大塚愛がデビュー前に熱心に通っていたとかいなかったとかいう話を聞くに及び(別に嫌いじゃないよ)、自分の方向性に合致するのであれば別にどっちでもいいんでないの、というのが正直な感想です。そもそもボイトレがどのようなものか知りません。
なにをして良い声と感じるかは十人十色、うまければいいという単純な話でもなく、そこに正解などないでしょうから本人としては楽しくもあり悩ましくもありといったところでしょうか。「自分が欲するものは他者から与えられることでしか手に入れることができない」という受け売りを狭義の意味で援用するならば、個性を真っ直ぐに伸ばせる肌の合う先生が見つかったなら、また本当に探す気があるのなら、一度レッスンに通ってみるのも面白いかもしれませんね。もちろん自分が面白がります。
ところで、歌手・俳優業をこっそり営む知人がなぜかおりまして、あるとき「うまいなあと思う日本の歌手は誰?」と間抜けな質問をしたところ、興味のない人や意外な人の名前がずらずら挙がって、ああそういうものなのかと思ったことがあります。関心がなければ耳にしていないも同じなのだと知ると共に、着眼点に違いがあるという当たり前なことも今さらながらに知りました。そこで恐れ多くも自分の好みを伝えてみました。憐れむように肩をポンと叩かれたのはなぜでしょうか。


『ダブルレインボウ』の話。
『blue bird』の間奏のハミングらしき部分は、レコーディング中に松浦さんが何気なく口ずさんだものを聴いたコモリタさんが後で付け足したものだそうです。コモリタさんの曲は、アレンジがポップですしメロディーもシャレていると思いますので、ここは末永いお付き合いをお願いしたいところです。ついでと申しては失礼千万ですが、Caravanなぞも呼んでいただければ望外の喜びです。ええ、ただ『ハミングバード』と言ってみたかっただけです。
あと、当アルバムの傾向をして事務所の体質のせいだと勝手に決めつけていましたが、トークを聞く限り、あまり関与してないような気がしてきました。まずは、好みのアルバムや曲調を事前にディレクターに伝えて意思表示をしていたこと。次に、最近カラオケでよく歌うのが、ドリカム、ユーミン小泉今日子中山美穂寺尾聰らという、あいかわらず年齢不詳なところ。そして、松浦さん自身が己の美学を以って選曲に参加しているであろうこと。この関連がありそうで別になさそうな3点を総合すると、『引越せない気持』が小泉今日子っぽく、そして珠玉の『ソウルメイト』がスティービー・ワンダーエビアンで薄めた風に聴こえてきました。そうなのか。あとは推して知るべし、っていうかわかりません。欲を言えば、その流れでモータウン調の曲があると面白かったかもしれません。
ただ、サブプライム何ちゃらも原油高騰もなんのその、乱高下とは無縁のナチュラルさを誇る安倍さんに突然『Too Far Away』を提供した前科がありますので、これとは比較にならぬほど昭和ロマンに汚染された至宝の『22才』を、松浦さんが22才になった記念にと、あるいは『風信子』の続編と称して提供する可能性も捨てきれません。しかも都合がいいことに歌詞が元から女言葉であります。

白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラの
悲しい別離を感じてた 窓の外は光る海
やさしさとか愛だとか 綺麗な言葉など
信じれる程 若くはない
それは知っていたけれど

22歳になれば少しづつ 臆病者になるわ
何故か分かる?貴方
私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね
私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね


作詞:谷村新司 作曲:谷村新司 唄:谷村新司


あかん、これはあかんでー。
そういえば、いつか絶対やるだろうと思っていた珠玉の『忘れていいの』のデュエットで、過去に白羽の矢が立ったのは後藤さんでした。復帰曲が当曲であれば、夜な夜な枕を濡らしてみせます。なお本人ご出演のカラオケの映像は笑えます。ついでにそういえば、言い得て妙だと密かに感じ入ったのは、松浦さんの歌をして『昴』のようだとくさしていた文章でした。わからなくはない。ああ、全ての曲が(谷村新司が歌ってるのは『Far Away』)脳内で完全再現されてしまう自分の年齢がわからなくなってまいりました。カラオケで素人が自分に酔いながら歌った日には翌日から村八分になるのが浮き世の掟であります。勘弁してください、もう一生ついていきますから。


教訓:谷村新司は忘れた頃にやってくる

服部良一トリビュートの『ラッパと娘』が案の定すばらしい。松浦さんの良さ、勝手にブルース感と呼んでいる要素がいかんなく発揮されているように思います。しつこいようですが村田陽一と組んだのも、ジャニスの『Move Over』もそうでした。おそらく松浦さん自身が思う自分らしさでないにも関わらず、いえ、だからこそなのか外部仕事ではイチャモンの付けどころがなく、不肖、なんの役にも立たぬキモヲタながら今後も賛辞を惜しまない所存であります。余計なお世話ですかそうですか。身内では持ちえない冷徹な視点ゆえ、自ずと着眼点が違ってくるのでしょうかねえ。


一方で『ダブルレインボウ』は、このなんとも言えぬ65点っぽさが松浦さんらしさなのかなあと感慨深くもあり、好きなことに変わりはありません。しかしながら、外部でのパフォーマンスを知るだけに、彼女のポテンシャルはこんなもんじゃないよなあ、なんかチグハグな感じがするんだよなあ、という名状しがたいもどかしさも同時に残ってしまいます。当アルバムに散見される悩ましいニューミュージックの香り、遡れば森高千里さんの最後期のアルバムも趣味はいいのかもしれませんがまあ同様でしたし、そして松浦さん以外にも間隙を縫うようにして時折顔をのぞかせる頑迷なまでの保守性から勝手に想像するに、これはハロプロというよりは音楽事務所であるアップフロント自体の伝統的な姿勢のように思えてきました。ゆえに、音楽性の違いがあろうとなかろうと、ハロプロから脱退したとしても同事務所に属する以上、音楽性の自由を担保することは至難業で、結局は網に絡めとられるだけのような気がしてなりません。しかも猛烈な善意によって。で、傍目からですが、最近の後藤さんは充実していたように思うわけです。でも、白紙状態や模索段階であればなおさら、低きに流れると言いますか慣れた手法を頼るに違いなく、『オリビアを聴きながら』で衝撃の復活!!という鼻白む事態になってしまったとしても自分はさほど驚かないのです。目下やりたい放題中の鈴木亜美さんとは環境が違います。


話が脱線しました。世知辛いよね。
あまり加工することなく素のままの歌声を乗せてみたい。屈託のないメロディと詞を歌ってみたい。松浦さんの意図はわかります。アルバムの中頃に据えた『砂を噛むように…NAMIDA』に、いわば箸休めの役割を課していることから、自らの歌声に自覚的なのも推測できます。だがしかし、事務所の思惑やら松浦さんの思惑やらが前面に出たことで、以前よりもさらにバックトラックとの乖離が目立つようになった気がします。『Naked Songs』のような音であればまた印象は異なったはずですが、折り目正しい音と親和性が高いとはあまり思えません。
アクの強い歌声を持つ椎名林檎UAが決して薄味を施さず、異形であることを意識的に選択しているのと同じで、松浦さんの歌声をそのままに生かそうとすれば、また濃い味付けに接近せざるをえないのだろうなあ。同じことをすべきだと言いたいわけではありません。彼女たちは、別にひねくれているわけでも奇をてらっているわけでもなく、結果として自然にそうなっただけだと思いますから。ともあれ、もし松浦さんが「趣味のいい」歌い手になりたいと思っていたとしても、その切なる願いは叶わない気がします。


かと思えば、過日しめやかに営まれたと巷間伝えられるアルバム発表イベントは、これまで長々と書いてきたのは何だったのかと憤慨してしまうほど、それはそれは完璧なものでした。やっぱ松浦さんに合うのはソウルだよフィリーソウル、なぞとヌルく締めようかと思っていた矢先に覆されたこの被虐の愉悦をどう言い表せばいいでしょうか。某所からくすねてきた音源を盗み聴いた限りですが、隅々まで神経を行き届かせたかの如き歌声と、ギターとキーボードのみによるシンプルな演奏の絡み具合は、もうすばらしすぎるの一言です。しかもやたら音がいい。なんじゃこりゃああああああ、なんの陰謀か知らぬが抽選で落とした奴は生かしておけん。即座に家宝と認定し、末代まで語り継がんと誓った次第であります。迷惑ですかそうですか。殺意すら芽生えさせるこの100点満点のパフォーマンスが、CDになると65点になってしまうのは一体全体どういうわけでしょうか。ああ悩ましい。

『砂を噛むように・・・NAMIDA』以降を松浦亜弥にとっての「ネクストステージ」だと呼んだ人がいたそうです。
「物語から私小説へ」と換言することもできましょう。


自己愛過剰につき、さぞかし面倒くさい女であろう松浦さんですから私小説を上梓しないはずがありません。
しかしながら、私小説は概して享楽的、瞬発的な面白みには欠けることが多いように思います。自分語りを延々と打ちあけられたときに覚える鈍い痛み、あるいは、打ちあけてしまったときに後から赤面した体験は誰しも一つや二つはあるはずですが、そんな青くて苦い、ムズムズするようなあれこれが否応なく思い起こされるからなのかもしれません。けれども無数にある私小説の内の一つが、ふいに容易に捨ておけない何かに変質することもまた往々にしてあるものです。
戸惑いを以って迎えた『ダブルレインボウ』というアルバムは、やがて同様の何かを映し出す私小説となりました。


いつからか松浦さんの歌声から、そこはかとないブルースが感じられるようになった気がします。様式としてのブルースではなく、在りようとしてのブルースとでも申しましょうか。個人的で極小的な情、祭りのあとに匂い立つ充足感と寂寞の混成のようなものが意識の外から滲み出ているとも言えましょうか。
思い返すに、「夢音楽館」を奇貨として萌芽したこの感覚は、意識的にジャズを組み込んだ昨年の『進化ノ季節』において小さな花を咲かせました。殊に印象的だったのは、アンコールで歌われた『夢』でした。もう一歩でキャバレー音楽にでもなりそうな曲を、凄みすら漂わせながら彼女は臆すことなく紡ぎ続けます。そうして当初は時期尚早と思えたものが、やがて感嘆の声を喚起させるまでに至りました。一方、松浦亜弥をアイドルたらしめたお約束の楽曲をずらりと並べた今ツアーは、一見すれば前回のそれとは対を為しているように思えます。しかし目を凝らせば、変じることなく通低するものと、あともう一つ似て非なるものの存在にも気づくのではないでしょうか。


虚か実かという問いは愚問になって久しく、もはや物語か私小説かという問いすらも愚問なのかもしれません。
奇しくも前ツアーの『夢』と同じに位置し、今ツアーにおいて実質上のフィナーレを飾った表題曲の『ダブルレインボウ』。散り散りとなって折り重なる過去と現在が収斂し、二つの虹に投影されていく光景に心奪われない者はいないでしょう。高らかに紡がれた旋律に浮かび上がったのは在りようとしてのブルース、そしてもう一つは祝祭のブルースではなかったでしょうか。それを聴き取ったのは、おそらく自分だけではありますまい。知らんけど。

久しぶりいいいいいいいいいい。何を書いていいのかわからん。
別に冷めてたわけとちゃうんよ。脇目も振らずに働いてたのよ。


そんなわけで一月くらい前になぜかテナーサックスを購入しちゃいました。友人と二人で杯を酌み交わしていたときに、一切の脈絡なく、ジャズやブルースみたいな、あっ、でもポップスやロックでもいいかな、ええい、とにかくバンドやってみようぜ、よしそれなら何でもいいから楽器買おうぜという話になり、訳もわからぬうちにサックスを手にしてしまったのですが、一方で、その彼が買ったのはドラムセットでありました。ああ、コードが鳴りません。ああ、どちらか一方はギターを買うに違いないと信じていたのに・・・。って言うか、サックスこそ不要なんじゃないのか。そもそも二人で何ができるのか。前衛の世界ではないわけでもない編成ですが、楽器をさわるのがはじめての自分達にとっては一億万年早いわけです。前衛はイヤだ。
もう何でもいいから、松浦さんの耳元で粘っこいエロい音を出してみたいです。唾液の染み込んだマウスピースを家に送りつけ、その麗しき臭いを嗅いでもらいたいです。そこへきて日野皓正なのかああああああ、今知ったぞ。そっちだったか、無念。まあそれはどうでもいいのですが、とりあえず練習場所がなくて困ってます。20代後半にもなって、この計画性のなさは致命的でありましょうか。ああそうですか。


こんなわけで、おそらく総スカンを食らったであろう『Naked Songs』は随分と気に入っております。そこはかとなくニューミュージック臭が漂う『ダブルレインボウ』に関しては、まだ判断を保留しています。ちなみに、この表題曲を初めて聴いた刹那、なぜか高橋真梨子の姿が忽然と浮かび上がりました。自分のうらびれた感性がそう主張して憚らぬのです。しょうがないのです。


そうしたわけで、昨今の松浦亜弥の活動状況や新作アルバムなどに関して物申したいことは積もりに積もっておりますが、何と言ってもまずはこれからでしょう。
大阪厚生年金会館で行われた彼女のライブを見物してきました。帰りのバスを逃してしまったので、熱気覚めやらぬ中、漫画喫茶からテキトーに更新しております。なお、珍しく昼夜連続で見物しまいました。ネタバレ少々。


あれこれとは述べますまい。松浦亜弥はすばらしいエンターテイナーでありました。泣きそうになった。
いつの日か過去の自分を肯定的に捉えられるときが来るだろう、そのときには・・・みたいなアホのように自明なことを随分前に書いた気がするのですが、要は、そういうことじゃないでしょうか。大方の予想を大きく裏切るセットリストを、硬軟自在な力技でねじふせたという、いささか矛盾した物言いすらもまかり通りそうです。


さて、なぜ全曲を生演奏しないのか、しかも生で演奏しやすそうな曲もあったのに、という疑問に関して私見を。
演奏自体は結構グダグダな部分もあったように思います。重めのドラムが、時に楽曲の推進力や軽やかさを若干削いでいるような気がします。もっとタイトなドラムでもいいのではないでしょうか。まあ全て生演奏にしなくてもええじゃないかと個人的には思っておりますので、不満なぞございません。ともかく、ライブで披露するまで全てを煮詰める時間がなかったのではないか、というのが自分の素朴な感想です。


だがしかし、それすらも心配には及びません。公演を重ねるたびに確実に改善されていくことでしょう、たぶん、きっと。
仮にこれら全てが自分の思い違いであれば尚さら問題ない。いやあ、それにしてもええもん見せてもろた。感謝。

久しぶりでございます。まだ続きます、たぶん。はて、まだ見てる人はいるのでしょうか。


このところ、ひょんなことから思いもかけず胡散臭い青春ドラマさながらの暮らしを続けておりました。
年齢も経歴も価値観も異なる何の共通点もない人間が仲睦まじく、あるいは反発しながらも寄り添う様子は、ときに奇異に映ったに違いありません。なにせ、モノホンのヤクザなくせに異常に繊細な奴、サッカーで日本代表になりかけたパチプロもどきな奴、自衛隊出身でシワひとつなくシーツたたむ奴、子持ちのバツイチ、そして、ひとりで「あややあやや」連呼してる奴。ええ、残念ながら誰も耳を貸してくれません。そんでもって、なにをどう間違ったのか、その他人様の幼女の送り迎えをする機会にも恵まれ、待て待てなんでやねんと思いつつも、以来、道行く幼女を見るたびに怪しげな視線を・・・いやいやいやいやいや、そうじゃないっすよ、お巡りさん信じてくださいよ。いやあああああああああ。それはともかく、まさか学生時代を彷彿させるような、いや、凌駕するかもしれない関係が築けるとは思ってもみませんでした。人の縁とは不思議なもんやねと、何だかよくわからぬ感慨に耽る日々。しかし、残念ながら短期間で終焉のときを迎えてしまいました。いえ、今にして思えば最初から予期されていたことだったのかもしれません。叶わぬと知りながら夢を追う友に、自分は何をしてやれただろうか、これから何をしてやれるのだろうか、どこかで聞きかじった意見なぞを賢しらに開陳すべきだったのだろうか。きっと言葉にせずともわかってくれる。照れ隠しで精一杯に包んだ別れの言葉を送り出したとき、一言では表せぬ思いに捉われました。
そうした小骨が喉につかえたような思いを抱えたまま、先日、松浦亜弥のライブを観てきました。あいかわらず音響(音量に非ず)がアレだなあとか、ギター危なっかしいなあとか思いつつも、そんな瑣末事なぞおかまいなしに2階席から見える小さな、それでいて大きくて眩い姿を視界に収めたとき、自ずと熱いものが込み上げてきました。彼女の佇まいや歌声に心を震わせたのか、それとも人知れず友人の姿を重ねたためなのか、それはまだわかりません。ただ、何かが吹っ切れたような気がしたのです。


で、だ。「顎関節症」ですかそうですか。久方ぶりに更新する気力が湧いたと思ったら、おおおおおおおおおおアホかボケか。
我が身の今日をうっちゃるのに精一杯でハロプロ情報から疎くなる一方なので詳細は知りません。最も忙しい時期を迎えるだけに懸念の尽きるところはありませんが、しかし、敢えて心配はいたしません。困難に直面したときこそ何ちゃらかんちゃらという、じじいの戯言めいたことも申しますまい。もう松浦さんのことアホのように信じちゃってますから。松浦さんなら大丈夫。ええ、転ばずとも只では起きぬ女であります。どうぞ治療に専念してください。
向かい風をものともせずに毅然と立ち向かい続けるであろう松浦亜弥と、ついでに、それでもなお叶うと信じて夢を追い続けるであろう友に、小坂忠のアルバム『People』(名盤でしょコレ)から『Yume wo kikasete』を。いや別に関係ないんだけどさ。

夢の続きを聞かせて
仕事のことは忘れて
あの頃はみんなが集まると
朝まで話してたね


誰かが笑いだすと
君は怒りだして
いつか夢じゃなくなる時が
きっと来ると言ってたね


あの日から続いてる
君の僕の まだ終わらない
夢の続きを 聞かせて 聞かせて

僕らの音楽
100回放送記念とか何とかで生放送。幾つかのステージを設け、MCを一切排してテンポよくライブを繰り広げていました。一青窈さんの歌う『My Favorite Sings』が良かったでしょうか。そんでもって、いつのまにやらソイル&ピンプセッションが民放に当たり前に出演するようになったんですね。ハードバップと言ってしまえばそれまでなのですが、意味不明な悪ノリテンションが印象的で、ライブが面白かった記憶があります。また、塩谷哲と武部聡の連弾、押尾コータローやら溝口肇やらが出演するなど、毎度のことながら豪華な番組ですこと。ソニー1社による提供だからこそ為しうる贅沢さなのでしょうか。誰かハロプロから出演しないかなあ、マジで。このさい歌い手の話は措くとしても、冷静に眺めてみると、同番組であったピアノデュオとハロプロアワーのそれはもとより、スタジオライブと比較すると、演奏なり音の響きなりのクオリティが随分と異なるような・・・。ちょいと切なくなってしまいます。あくまで一聴した限りの印象ではありますが、なかなか難しいもんだ。合理的と申しますかドケチな事務所でございますから、何があるのかは知りませんが松浦さんのライブも予め期待値を下げておこうかしらんと、さっそく予防線を張りつつある自分が哀しくもあり、それ以上にワクワクしつつもあり。ふと気がつけば約1年ぶりのソロツアーですもんね、時が経つのは早いものです。泣いてみせますそうします。そういえば明日はエイプリルフールか。・・・えっ?




追記
・ピアノ+ストリングス4人。上モノだけを生演奏に変更したのは、現状では妥当ではなかろうか。それだけ楽曲の根幹まで生演奏にするのは危険性が高いということかな。それでなくとも、繰り返すようにハロプロの楽曲は忠実な再現が困難でありアレンジを大胆に変更しない限りは無理っぽいのだから、順当で前向きな妥協点ではないんすかね。個人的に予想していたよりも多く生演奏を交えてたから、むしろ感動したし。これから積み重ねていくことが大切。慌てずに先を急ごう。
・舞台装置はシンプル。装置が反転して演奏者が登場するシーンは、かつて強引に連れて行かれて観たビースティー・ボーイズのライブを彷彿させた。どうでもいい。せりあがる装置もあり。
・テキトーな予想があたり、少しの時間ではあるが松浦さんもピアノを弾き、連弾らしきことをしていた。当たり前ながらタッチというか音の差が歴然であり、まるで玩具のピアノのような音が鳴っていたような。副次的なものではあるがプロのピアニストの凄さが逆にうかがい知れた気がする。アホみたいな感想だけれども。松浦さんが楽しそうに弾いているので何の文句があろうか。いたずらっ子のような表情が年相応かもしれず、こうした遊び心があってもいい。ストリングスとの掛け合いもわずかながらあってライブを観に来たのだという気持ちにさせられる。カントリー娘。と共に披露する愛らしい振り付けや、彼女らのコーラスなど随所で些細ながらもアイディアが盛り込まれており、飽きさせない工夫がなされていたのではないだろうか。
・松浦さんの歌声が好調。歌い方が素直で声もよく出ていたように思う。初回は気負いが感じられたが、夜の部は生演奏コーナーのみならず絶品。つまり、遂に自分に課した禁を破って一日二公演を観てしまったのだが。抑制が効いているというか、しっかりとコントロールされている感があり、それでいてそこからはみだす良い意味での危うさや、零れ落ちれんばかりの切なさが滲んでいた。殊にアカペラからはじまる『LOVE涙色』の声の表情の豊かさといったら。正直こんなに歌えたのかと驚いた次第。強く歌い上げるだけが全てではあるまい、『渡良瀬橋』も生まれ変わっていたし、打ち込み音に馴染めずいまひとつ好きになれなかった『ずっと好きでいいですか』もいい感じだった。歌声から景色が浮かんだ、と発言したみうなさんの言葉は、あながちウソやお世辞ではないのではなかろうか。とにかく楽しそう。やはりライブありきの人だ。
カントリー娘。がおもろい。里田さんスタイルいい。みうなさんのキャラクターがとてもいい。みなコーラスで奔放に振舞っていたのが印象に残る。
・『砂を噛むように・・・NAMIDA』の音源が生演奏に準じてDVDのそれとはまた異なる音源に差し替え。同じく『気がつけばあなた』も録り直されているような。気のせいでなければドラムの余計な装飾音(?)がないように思えた。ミックスの変更には留まっていないような、いや、よくわからん。
・終焉後の鳴り止まぬコールがおもろかった。
・盛り上げる箇所の間に、今ツアーの目玉であろう生演奏コーナーをたっぷりとっている。中部分がU字に開いた青いドレス衣装で登場。歌い終えた後にテーブルのランプを消して立ち去る演出がしゃれている。代表曲をメドレーで収めていることからも魅せたいものがはっきりしており意志が明白で、それゆえにメリハリが効いている。しゃにむにアイドルを否定することなく、むしろ利用できるしたたかさを、そして上手く統合していける賢さを、と何様かということを勝手に主張している自分としては、こんなのもアリだと思うわけ。彼女がやりたかったであろうことの一部がやれているだろうから、そうしたメリハリを本人はさほど抵抗なく楽しめてるんじゃないかな。ただ、そのメドレーは欲張りすぎというか、ブツ切りでいまひとつだが、ええい、そんなもんは些事にすぎん。アンコールの際に、ジーンズにTシャツというラフな姿で現れたことに驚いた。一方で、胸に花をあしらった『ね〜え』の時のようなオレンジの衣装で現れたり、また終盤にかけての選曲に多少チグハグな感じがあって、もう少し最近の曲があってもよかったかなと思わないでもないが、やはり些事にすぎん。少しばかり背伸びした彼女と屈託なくはじける彼女の両方を観ることができ、危惧していた閉塞感も最小限に留められたのではないだろうか。相反するニーズに対応していたともいえそう。
すべて生演奏はありえないと自分は端から思っていたけれど、それを期待していた方であれば中途半端だとする意見が噴出するかもしれない。ただ、欲目丸出しで言わせてもらうと、現在なしうるであろうことの多くができているように思う。これをどれだけ待ち望んだことか、よくここまで漕ぎ着けたねえ、と恥ずかしながら自分は涙ぐんでしまった。ともかく意欲的なツアーとなっていることは間違いなく、聴きたかった曲を挙げればキリはないが、まだ探っている状態だと思うので今後さらに期待がもてそう。ストリングス隊も徐々に大胆になっていくことだろうし、より一体感が増していくに違いない。全員で作り上げているような印象を受けたライブだった。これも涙せずにはいられなかった完全ソロの松クリスタルとは態様が異なるので比較はできないけれど、うん、時間が短く感じられた。そう思った観客が多かったのか、最後の曲ですと紹介されたときの定番の「エー!」がひときわ大きかった。いいライブだった。っていうか、よほどのことがなければ全体の流れを細かく気にしない、よくわからない自分としては、生演奏部とそれ以降の後半部だけでお腹がいっぱい。文章がムダに長いなオイ。