『砂を噛むように・・・NAMIDA』以降を松浦亜弥にとっての「ネクストステージ」だと呼んだ人がいたそうです。
「物語から私小説へ」と換言することもできましょう。


自己愛過剰につき、さぞかし面倒くさい女であろう松浦さんですから私小説を上梓しないはずがありません。
しかしながら、私小説は概して享楽的、瞬発的な面白みには欠けることが多いように思います。自分語りを延々と打ちあけられたときに覚える鈍い痛み、あるいは、打ちあけてしまったときに後から赤面した体験は誰しも一つや二つはあるはずですが、そんな青くて苦い、ムズムズするようなあれこれが否応なく思い起こされるからなのかもしれません。けれども無数にある私小説の内の一つが、ふいに容易に捨ておけない何かに変質することもまた往々にしてあるものです。
戸惑いを以って迎えた『ダブルレインボウ』というアルバムは、やがて同様の何かを映し出す私小説となりました。


いつからか松浦さんの歌声から、そこはかとないブルースが感じられるようになった気がします。様式としてのブルースではなく、在りようとしてのブルースとでも申しましょうか。個人的で極小的な情、祭りのあとに匂い立つ充足感と寂寞の混成のようなものが意識の外から滲み出ているとも言えましょうか。
思い返すに、「夢音楽館」を奇貨として萌芽したこの感覚は、意識的にジャズを組み込んだ昨年の『進化ノ季節』において小さな花を咲かせました。殊に印象的だったのは、アンコールで歌われた『夢』でした。もう一歩でキャバレー音楽にでもなりそうな曲を、凄みすら漂わせながら彼女は臆すことなく紡ぎ続けます。そうして当初は時期尚早と思えたものが、やがて感嘆の声を喚起させるまでに至りました。一方、松浦亜弥をアイドルたらしめたお約束の楽曲をずらりと並べた今ツアーは、一見すれば前回のそれとは対を為しているように思えます。しかし目を凝らせば、変じることなく通低するものと、あともう一つ似て非なるものの存在にも気づくのではないでしょうか。


虚か実かという問いは愚問になって久しく、もはや物語か私小説かという問いすらも愚問なのかもしれません。
奇しくも前ツアーの『夢』と同じに位置し、今ツアーにおいて実質上のフィナーレを飾った表題曲の『ダブルレインボウ』。散り散りとなって折り重なる過去と現在が収斂し、二つの虹に投影されていく光景に心奪われない者はいないでしょう。高らかに紡がれた旋律に浮かび上がったのは在りようとしてのブルース、そしてもう一つは祝祭のブルースではなかったでしょうか。それを聴き取ったのは、おそらく自分だけではありますまい。知らんけど。