いつぞやの「僕らの音楽」でTHE BOOMの宮沢和史小泉今日子の対談がありました。宮沢が幾つかの楽曲を彼女に提供していた関係だと思われます。ぼんやりと見ていただけなのでその対談の経緯は忘れてしまいましたが、40歳を迎えるにあたって彼女は 「若かった頃の残像を重ねるファンの方々には申し訳ない気持ちがあるけれど、それでも今は年を重ねることが純粋に楽しみ」 という類いのことを述べていました。しかし、そのくせ少しも申し訳なさそうにしていません。そのとき、大物ぶるでもなく必要以上に卑屈になるでもない彼女の姿から、清々しいまでの図太さを、あえて大げさに言えば、その言葉通りウソ偽りなく現在と未来を肯定できうる強さを垣間見たような気がしました。
そこで、小泉今日子の特集が組まれていた雑誌『SWICH』を購入。掲載されているインタビューを読む限りでは、予想通り、マイペースでたくましい人だという印象を受けました。インタビューの半ばは女優としての彼女に割かれているのですが、終盤では歌、そして自身のアイドル全盛時代のことが述懐されています。年代が異なるせいか、はたまた関心がなかったせいか、自分は彼女のことを全くと言っていいほど知りません。しかしながら、何の因果か自ら好き好んでアレコレするはめとなってしまい、それゆえ興味を覚える箇所が幾つかあったりなかったりで、時代は違えど松浦亜弥と共通する部分もあるのだろうなぁと、しばし気色の悪い妄想を。それにしても、やたらベストらしきものが多いとはいえアルバムだけで42作とは怪物ですな。85年なぞは1年だけでアルバムが6枚。ありえん。


そんなこんなで先日、小泉今日子の最新アルバム『厚木I.C』をレンタルしてきました(買えよ)。彼女の出身地である厚木を舞台とした、写真家・佐内正史の撮影による写真がすばらしく、火のついたタバコを持つ彼女の凛とした姿がかっこいい。列挙するのが面倒なほどに錚々たるメンツが揃っているこのアルバム、良くも悪くもヒットチャートに食い込むような華やかさはありませんが、聴きこむほどに味の出るメロディーの美しい楽曲が多いように思います。中でもSUPER BUTTER DOGのカバー(らしい)『サヨナラCOLOR』は珠玉の一品でありましょう。フィッュマンズの『ナイトクルージング』を彷彿させるイントロからして涙もの。歌・曲・詞が一体となっており、さりげなく、けれど緻密に配されたと思しき透き通るように美しい音の粒子群のことごとくが自分の琴線に触れてやみません。高野寛の編曲もさることながら各演奏も負けず劣らずすばらしいのでしょう、サビ部分のギターのカッティングだけで丼3杯はいけます。
小泉今日子はまるで物語の語り部のような佇まい。少年性をも内包した、たおやかな歌声に押し付けがましさはありません。詩の一人称である「僕」の、日常と地続きであるかのような絵空事ではない悲しくも確かな決意を淡々と豊かに紡ぎます。仮にこれを「上手い」歌い手が思い入れたっぷりに大仰に歌い上げたならば、たちどころに台無しになってしまうに違いありません。 「サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ」。 ともすれば陳腐な物言いになりかねないフレーズですが、それが柔らかな色彩を伴ってさりげなく聴き手の耳に届いてくるのは、世界に対峙する際に彼女が取る適正な距離ゆえであり、何よりも彼女の歌声があるからではないでしょうか。他を圧し、声高に叫ぶだけでは零れ落ちてしまうものがきっとあります。秘すことで逆説的に浮かび上がるものがきっとあるはずです。ご存知のとおり、小泉今日子は決して「上手い」歌い手ではないでしょう、けれども「いい歌」だと自分には感じられました。それこそが何よりも大切なことなのではないかと思えてならない今日この頃です。