うたばん。相変わらずいいところ突いてます。クリスマスツリーが欲しいだとー、ウソつけっ。ナハハ。
それはともかく、松浦さん曰く、安倍なつみという偉大な先輩を仲のいい友人と呼ぶことには違和感がある、と。まぁそこには込み入った感情、いわゆるハロプロにおける縦の関係や複雑怪奇な歴史などがあるんでしょうが、残念ながら自分は知りません。それでも、自分は体育会系の部活にいたことがあるので、先輩を友人と呼べない感情はおぼろげながら理解できる気がします。また、松浦さんは現代っ子らしからぬ保守的な感性をもっているのではないかと独りで勝手に想像しているので、妙に納得できるところであります。
そんでもって、森高さんいいなぁ。心ここに有らずで目の奥が笑っていません。まさに社交辞令ってところが素晴らしい。


テレビでは「アリゾナの魔法」以降、松浦さんは『渡良瀬橋』でタメを効かせるようになってきたように思います。譜面どおり正確に歌った感のあるCD音源は、歌声の乗せ方がリズムに対してジャストであって少し淡白な印象を受けます。ではリズムをモタらせれば良いかというと必ずしもそうではなく、却ってくどく感じられることもあるので、その良し悪しは一概には言えません。ライブ音源よりもCD音源を好む方がいたり、淡々と歌う森高バージョンを好む方がいるのもうなずけるところです。当り障りのない物言いになってしまいますが、それぞれに良さがあるということなのでしょう。
「うたばん」で歌われた『渡良瀬橋』は、リズムに乗り遅れるギリギリのところまで音を引っ張っていたような気がしました。どう感じるかは人それぞれだということを前提としますが、個人的には、安定していて良いけれども少しくどいかなと。あとCメロ入れてくれ。現時点では「アリゾナの魔法」での歌唱がベストだと思っています。これだけ言っておいて、歌ってなかったらどうしよう・・・。どちらも録画してないんだよなぁ。


楽器の演奏に関しては、ローテンポの楽曲をこなすのは至難のわざで、必然的に1拍の幅が広くなるため解釈が難しくなると一般的に言われています。無限の如く広がる空間を御すことができず無要に音を重ねて却ってうるさくなったり、その反対に音を減らしすぎて無味無臭になってしまったりすることが音楽の世界にはあるようです。その一方で、円熟期を迎えたと称される演奏の多くは、若年期と比較すると概ね簡素であるのに言葉に尽くせぬ深遠さを兼ね備えています。楽器のできない素人の自分が言うのもアレですが、それこそが引き算の難しさであり、音楽の奥深さなのかもしれません。
繰り返しになりますが、必ずしも「付加価値の増加・視認できる範囲での情報量の増加=進化」ではないはずです。感情を押し殺すことで生まれる緊張感や、図らずも滲み出てしまう感情、敢えて双肩に背負いし重石を排すこともまた時に進化と呼ぶことができるのではないでしょうか。森高バージョンと比較すると、松浦亜弥の『渡良瀬橋』はリズムを前面に押し出さないアレンジになっており、どこかのサイト(忘れた)で書かれていたように『渡良瀬橋’04』と呼んでも支障はないでしょう。やや強引だとは承知していますが、このアレンジは、歌い手の裁量が広く取られて比較的自由である反面、良くも悪くも感情がダイレクトに届いてしまう面があるように思います。サイト上で頻繁に言及される「進化」や「深み」については、感性鈍き自分なので、その点においてはまだ何とも言えず今は静観しているところですが、上述した理由から試行錯誤できる余地はまだ十分に残されているように感じますし、実際に自分がそれと知るのはもう何年か先になるのではないかと勝手に思っています。
生演奏が最良だとは思っていないけれど、やっぱり生演奏で聴きたいなぁ。ついでにリコーダーも吹いてほしい、というのはファンのエゴ以外の何ものでもありません。