笑顔で会場を後にする人達。自分は立ち去ることができず、熱気冷めやらぬ会場に残されたステージを見つめながらその場に立ち尽くしていました。明かりの落とされたセットは、数分前の喧騒を忘れたかのように沈黙を守るばかりです。帰宅を促す警備員の声が響き渡る中、2日間に渡って繰り広げられた非日常的空間を思い返し、確かにそこにあったはずの幻影を追い求めます。


広々とした会場を視界におさめながら、期待と重圧を胸にリハーサルを行ったであろう彼女の姿をまぶたの裏に浮かべます。ひとりステージに腰かけ、頬杖ついて誰一人としていない会場を見渡す姿。その小さな背に映ったものは、溢れんばかりの幸福だったでしょうか、それとも言いしれぬ孤独だったでしょうか。もしかすると、光の胞子群が無数に浮かび上がる光景に想いを馳せ、何の屈託もなく胸をときめかせていたのかもしれませんが、いずれにせよ言葉にならない感情が幾重にも重なっていたのではないだろうかと自分は愚考します。
スタンド席から見るステージはアリーナ席で見たそれよりも大きく映り、その一方で、小柄な身体がステージに占める割合は想像していたよりも遥かに小さなものでした。幾千もの観客を沸かせた、かぎりなく大きく小さな存在。時に満面の笑顔を浮かべながら、時に瞳をうるませながら「本当にありがとう、これからも松浦を支えてやってください」と彼女が述べる意味が、その時にほんの少しだけ理解できたような気がしました(気のせい)。その言葉は、偽りのない切実な願いの表れであったのかもしれません。


誰もいなくなった会場を見渡したとき、彼女は何を思い何を語るでしょうか。
少しだけ時間をおいて、笑顔を湛えながら「楽しかった」と、一言だけ述べるような気がしてなりません。


今ツアーは、これまで築き上げてきた過去への決別を意味するものかもしれません。
『夏男』に代表される派手な演出に目が行きがちですが、その実、中心に据えられていたのは、彼女を彼女たらしめる大きな要素のひとつであるバラード・ミディアムテンポの楽曲であり、かつキラーチューンとなりうるかつてのシングル曲の幾つかを潔いまでにメドレー内に組み込んだことからも、そこには今の松浦亜弥を提示しようとする意図が存在していました。既に身の丈に合わなくなってきている曲があることも確かですが、その用いられ方ひとつとっても、何か意味深いものが感じられたのです。近々、自分の如き保守的ファンの不満をよそに、これらの楽曲はバッサリと切られるか、もしくは大胆なアレンジ変更が施されるような気がしています。それはともかく、考えられる上記の理由からか格別派手な印象こそ残りませんが、されどすげぇの一言で片付けられるものでもありません。うまく言葉になりませんが、やっぱり松浦亜弥だなぁと、訳のわからぬ感想を自分は抱いたのでした。
『The Last Night』、『渡良瀬橋』、『初恋』、『風信子』、そしてリアレンジされた『可能性の道』は、多少の演出はあったものの、必要のない振り付けは排除されており、それはこれからの彼女を示唆するものであったような気がします。特に、歌い手であることの矜持を噛み締めるようにして語った姿が印象的でした。そして、会場全体に豊かな陰影を刻むような深みのある歌声で歌われた『可能性の道』は、まるで青い炎が揺らめいているようでいて、そこに彼女の確かな決意を垣間見たような錯覚を覚えました。歌のある空間。何よりも彼女が大切にしている「歌」がそこにありました。いかなる演出も意味を為さず、ひとりの歌うたいが支配する温かな世界がそこには広がっていたのでした。
集大成の意味合いが強い「代々木スペシャル」を無事終えたからこそ、模索しうる新たな道があるでしょう。変わらないこともまたひとつの選択肢でしょう。いえ、こんなにも素晴らしいライブを観たのですから、余計なことは考えず、今しばらくはこの幸福な余韻に浸っていようと思います。


あぁぁ、上手く書けん。我ながらキショイ。