Jubilation Choir@中野サンプラザ

「70名の歌声が響き渡る、圧巻のゴスペル・コンサート」の文言に惹かれ、何の予備知識もなくジュビレーション・クワイアのライブを観に行ってきました。
ゴスペルとは、その数奇な歴史と同義でもあるのでしょう。会場で配布されたパンフレットには、聖書の一節と共に楽曲の和訳が載せられ、アフリカン・アメリカンの苦渋に満ちた歴史が記述されています。
1曲ごとに語られるMCは、幼児に諭すかの如く簡易な言葉を選び、一言ずつ発音するものですから、英語を解さぬ自分にすら言わんとしている内容を容易に把握できるものでした。念を入れてMCを帯同しており、そこからも並々ならぬ熱意を感じます。ただ、「神はそこにいます」とか「ジーザス」を連呼されても、自分にはピンとこない面もありましたが。
聞きかじった知識をここで披露することは避けます。未成熟な知識など何の足しにもならず、それどころか有害無益でしかありません。全てを知ったた上で音楽を厳粛に受け止めることも真であるならば、一切合財を抜きにしてただ耳を傾けることもまた真でありましょう。


ある程度は事前に脳裏に描いていたにも関わらず、ステージ上に70名が会する光景は、想像していた以上に異様かつ威容でありました。向かって左手に女性ソプラノ群、中央に男性コーラス群、右手に女性テナー群を配置し(正しい名称は知りません)、バックバンドはドラム・ベース・キーボードのみ。最初は全員が正装でしたが、15分の休憩を挟んだのちの第二幕では、全員が色とりどりの民族衣装(?)をまとって現れます。
それぞれに腕を上空に掲げたり、思い思いに体躯を揺らしたりと、堅苦しさなど微塵もないパフォーマンス。楽曲ごとにソロと指揮者が入れ替わるのですが、それぞれに個性があって、観客側が思わず吹き出してしまうほどに身振り手振りが大げさでコミカルな指揮者もいました。指揮者が腕を振り上げると同時に頂点に達し、迫力のある歌声が会場全体を震わせます。自在に伸び縮みするヴォーカリゼーションは、観る者の心を否応なく震わせるのです。歌声こそが最良の楽器であることを改めて知った次第です。
また、ソロの歌い手がどれも超絶的で、張りのあるロングトーンを聴くに及び、先天的に有する能力や肺活量の差異をまざまざと見せつけられたような気がしました。名前は失念してしまいましたが、中盤で登場した立派な体躯の牧師さんの、太く伸びやかな歌声が特に印象に残っています。
比較的アップテンポな楽曲が多く、かつアレンジも凝っていて、最後まで飽きさせることがありません。歌声が素晴らしいだけに、曲によっては楽器の音がうるさく感じられた点もありましたけれど、そのぶん敷居が低く、自分なんぞにもわかりやすいものでありました。(ただし1曲も知りませんが)
アップテンポの曲では皆総立ちで手拍子を送ります。そして、しっとりとした楽曲では着席して耳を傾けます。MCで述べられていたような、足踏みや大合唱こそ起きなかったけれど、これぞ理想的!と言いたくなるような会場全体で作り上げたライブ。そして、ジャンピング系の高速ナンバーを最後に、大団円の内に幕を閉じたのでありました。
ひとたび言葉にすれば陳腐極まりなく瞬時に色あせてしまう気もするのですが、もう圧巻の一言に尽きます。多くのメッセージを内包していながらも決して押し付けがましくはなく、そして何よりも幸福な祈りに満ち、観る者を笑顔にさせずにはいられない、そんな素敵なライブでした。


ここからは余談です。
会場を占める女性比率(きれいなおねーさん系多し)が異常に高く、しかも経験者が多数いたように思われます。あちこちから楽曲の解説めいた会話が聞こえてきたり、共に口ずさむ人が多かったりしたことからも覗えます。そういえば数年前に「彼女達の時代」というドラマで少しばかりゴスペル教室が取り上げられていました。その頃がゴスペルブームの頂点だったのでしょうか。一時期のようなブームは既に過ぎ去ったといわれているようですが、却ってかつてよりも深く浸透しはじめているような気がします。
全体を把握するに適している6列目で観ることができたのは幸運でした。ただ、空席が目立ったことが少し残念です。偶然にして足を運んだ自分が言うのもおこがましいけれど、もったいないなぁとつい思ってしまいます。規模こそ違えど、関東近辺であれば様々な場所で頻繁にライブが行われているようなので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。余計なお世話ですか、そうですか。


っていうか、なんで僕はこんなに一所懸命に書いているのでしょうか。疲れた。
詳細は以下のリンク先をご参照ください。最後まで読んだ方がいればの話ですが。
http://www.zak-tokyo.co.jp/artest/Gospel/Gospel.html