「3年間、がんばったよ!すっごい、がんばってきたよ!」

ガンバッテ、と口にすることは容易い。だが、実際にがんばっている人に対して、ガンバッテ、と声をかけることは、かえって相手を追い詰めることになりがちです。まだがんばらなければならないのか、と暗澹たる感情を植え付けることに繋がりかねません。日常的ですらある何気ない言葉ではあるけれど、そこには知らず知らずの内に人を追い詰めるようなある種の危険性を内に孕んでいるような気がします。
ならば、ガンバラナクテモイイヨ、と声をかければそれで事足りるのでしょうか。そこに諦めの感情はないでしょうか。
ガンバラナクテモイイヨ。ひきこもりや家庭内暴力において、それぞれの置かれた状況や個々の事情に注目することなく、全ての事象を十把一絡げにして専門家とやらがしたり顔で頻繁に口にする言葉。口に出すな、相手を思いやる感情を態度で示せ、相手の存在の全てを受け止めろ・・・。心のつながりを絶えず求め、それを否定されて傷つくことを何よりも恐れるのが人であるからこそ、確かに多くの場面で適用しうる態度ではあると思います。けれど実際に体験したことがない自分には、それが的を得たものかどうかの判断がつきません。それどころか、必ずしもそうではあるまい、といった相反する思いを打ち消すことができずにいます。


自分のことは棚に上げてでも僕は彼女にガンバッテと言い続けたい。ひとりの歌い手であると同時に、自身がアイドルであることを最大限に肯定し、ファンの気持ちの全てをひとりで受け止めたいと言い放った彼女なのです。そんな彼女に、ガンバラナクテモイイヨ、の言葉はまだ不要なのではないでしょうか。それは時に消極的な意味を伴うものですから、かえって彼女を落胆させること繋がりはしないでしょうか。僕が考えている以上に、彼女はひとりの世界では生きていませんし、当然ですが自己完結などしてはいません。口に出しはしませんが、実は多くの人の支えを誰よりも必要としているように思えるのです。
直視しがたい場面が訪れたとしても、僕は口をつぐんでいようと思います。為すすべもなく立ち尽くす時の訪れは避けがたく、いかに抗おうともいずれやってきます。その時にこそ、ガンバラナクテモイイヨ、と声をかけてあげたい。例え本人の耳に届かなくても僕はそうしたい。それは消極的な意味を伴った諦めの言葉ではありません。ましてや彼女を追い立てるものでもなく、そっと背中を支えてあげられるような言葉でありたいと願うのです。そして、来るべき時に背中をそっと押し出してあげられるような積極的な言葉でありたいと思うのです。


逆境の時にこそ、その人の真価が問われるのだとすれば、彼女は毅然とした態度で乗り切ってくれることでしょう。そこは全幅の信頼を寄せていますので何ら心配はしていません。けれども、少しでも苦悩を伴うものであるとすれば、その時はささやかながらも彼女の支えになってあげたいと考えています。およそ無意味であるとは知っていながら、また我ながら気味の悪い考えだとも思いますが、そう願ってやまないのです。
彼女はいまだ発展途上中です。その歩みは以前と比較すると緩やかになったのかもしれません。けれど着実に進んでいます。余計なことを考えることなく、今しばらくは彼女の輝きに目を細めていたいと思っています。