バート・バカラックが28年ぶりにオリジナルアルバムをリリースするとのこと。首を長くして待っていた人はいたのだろうかと疑問に思うほどの桁違いの大物ぶりです。
さて誰が呼んだか日本のバート・バカラックとも称されているらしい冨田ラボこと冨田恵一が、教育テレビの「トップランナー」に出演していました。途中から見ましたので残念ながら楽曲の製作過程とやらは拝めませんでしたが、なかなか興味深いものがありました。また、彼が紡ぐ音楽はニューミュージック的とも呼ばれているそうです。曖昧ゆえにジャンルに固執することは不毛ですし何かと語弊が生じるものの、もはや死語となりつつあるニューミュージックは、70年代のアメリカのシンガー・ソングライターフュージョン周辺と歌謡曲を折衷したものであろうと、今のところおぼろげながらに認識しています。おっさん臭いことを言えば、スティーリー・ダン辺りともかぶるような気がします。そうした理屈にもならぬ理屈を抜きにしても自分が気に入るのは至極当然なのかもしれません。


そんなわけで、いまだに彼の1stアルバム『Shipbuilding』を愛聴しています。生演奏の代理としての打ち込みとは到底思えないほどの精緻なリズムトラックと、洒脱でかゆいところに手が届く楽曲。生演奏か否かに固執することの不毛さを思い知らされます。また、一聴してそれとわかるような特徴がない、言い換えれば作り手のエゴが見えにくいのが特徴かもしれません。それゆえか作曲・編曲の全てが冨田ラボでありながら(作詞は歌い手)、はじめから歌い手の曲であったかのように見事にフィットしており、それぞれの個性が最大限に生かされているように思えます。ヴォイシング(?)とやらが凝っているのでしょうか、番組内でそれらしきことを述べていましたが、どことなしか奥深さを感じさせます。自分が思うニューミュージックにしては歌謡曲の良さである猥雑さや煌びやかさが排除されているきらいがありますので、もしかすると賛否両論あるのかもしれませんが、それをして優劣を語れるものではありますまい。かといってスカしているわけでもなく、味気ないフュージョン臭を過剰に表出しているわけでもなく、詰まるところバランス感覚が素晴らしいのではなかろうかと素人ながらに思っています。音楽に造詣の深い人や楽器のできる人なら、自分ごときでは及ばない別の観点で捉えることができるのではないでしょうか。
その当アルバム、キリンジの奇特なメロディや畠山美由紀のたおやかな歌声はもちろんのことですが、中でも永積タカシサイゲンジが白眉でしょうか。サイゲンジ兄貴はライブを観に行ったことがあります。キャッチーながらも容易に口ずさめないメロディを押し付けがましくなく軽やかに歌いこなすのと、身体全体を用いた陽気なパフォーマンスが素晴らしく一発で惚れました。ブラジル仕込みでコードが変態的なのか、自分には聴き慣れないメロディであっても親しみやすさがあり、これぞポップスの醍醐味だと思う次第です。
さらに話が逸れます。はじめて冨田恵一を認識したのは中島美嘉の『Will』がきっかけでした。とは言っても『LOVE Addict』を聴くまで彼女に何の興味もありませんでし、失礼ながら下手クソとしか思ってなかったので完全に後追いなのですが。現在もお世辞にも達者ではないでしょうし、音程のズレはともかく何よりもリズム感が怪しいのではなかろうかと感じているのですが、それでも好きになってしまったのだから仕方ない。しかしながら、中途半端にこなれてしまうと良さが失われてしまうに違いありませんので、さほど上手くなってほしいとも思っていません。未完の大器ってのもいいじゃない、自分はその危うさにこそ惹かれます。何より楽曲のクオリティが一貫して素晴らしいように思います(NANAの主題歌はアレですが)。ちなみに彼女の新曲の編曲者は河野伸のようです。楽曲はもちろんのことツアーを共にしている関係で自分も何度か目にしているので別に驚くことでもないのですが、やはりうらやましい。どうりで気に入るわけです。彼女の容姿や人柄には関心がないので逐一情報を追ってはいないものの、ここを参照する限り、歌姫かどうかはともかくいつのまにやら面白いことになっているようです。ブルースに挑戦するというのはマジだったのか、STAXの人材まで引っ張りだしてくるとは恐るべし。カッコいい。それにしても河野伸が大物になってしまいましたので、もうハロプロは相手にしてもらえないのでしょうかね。残念。