先日、吉田美奈子+河合大介ライブに行ってきました。


会場のBlues Alley Japanは、ブルーノート東京にも似た適度な親しみやすさを残した、まあ上手い飯でも食いながら気軽に観ていきなよ、といった趣き。さすがに観客の年齢層はやや高めで、仕事帰りの会社員、特に30歳前後であろうOLが多く見受けられました。自前で用意していた花束を演者に手渡す場面が何度かあったように、ファンの集いさながらでありながら、かといって一見さんお断りとでも言いたげな閉鎖的な雰囲気もありません。吉田美奈子・河合大介両者の屈託のない所作がそうさせていたのかもしれません。


河合大介が演奏していたハモンドB−3オルガンは、特段珍しい楽器ではなく頻繁に登場する楽器だと思うのですが、実際に目にするのは初めてです。足元にパイプ上のペダルが並んでいて、そこでベース音を操作しているらしく、少しばかり武骨な音色だったような気がします。真空管アンプが内蔵されており電圧を一定に保っておかないと音程が狂うらしく、同様のことをアナログシンセでも耳にしたことがあります。楽器について語る際に垣間見える、扱いづらいゆえに愛情もひとしおといった雰囲気は、アンティークと称しても差し支えない楽器を愛好する者に共通しているように思います。アメリカの家庭にあった家庭用のハモンドオルガンを購入して溺愛しているエピソードが披露されたときに見せた照れくさそうな表情が印象に残っています。


この1週間余りで幾枚かのCDを乱雑に聴き流しただけの印象にすぎませんが、初期はローラ・ニーロ風、やがてAORを経由してスライやファンカデリックをも彷彿させるファンクへ、そして吉田美奈子としか形容のしようがない世界に至っているように思います。耳にした範囲ではそのどれもが洗練されています。
彼女の歌声に関して、変化は誤差の範囲と述べましたが、数十年前と比較すること自体が無意味とはいえ、定規で測ったかのような伸びやかな高音はさすがにやや影を潜めています。透き通った伸びやかな高音を美声と呼ぶのであれば、現在の彼女の歌声は美声とは呼びがたいのかもしれません。けれども、矛盾するようですが彼女の声は衰えてはいません。抜群の存在感は健在です。また、深いビブラートや節回しが独特で、抑えてはいても自ずと滲み出る重厚さは他の追随を許さぬものがあります。場合によっては鼻につきかねない相応のアクが生じるのも年月ゆえならば、それを容易にコクへと転じさせるのもまた年月ゆえでしょうか。いい声。


バンド編成であればまた感じ方が変わるのかもしれませんが、なにせ二人しかいませんので直接的に生々しく歌声が耳に届いてきます。どれほど大編成になろうとも歌声の存在感ゆえに主人公の座を譲ることはないものの、デュオの場合、必然的に骨格だけが明るみにでるわけですから、こちらが思うよりも難儀なことでありましょう。河合大介を随分と信頼しているらしく、そうした内容の軽口を叩きつつ、息の合った掛け合いを披露していきます。緩急自在なオルガンの音色が素晴らしく、サービス過剰な音に慣れ親しんでいる我がバカ耳にも不足はございません。オルガン奏者であるジミー・スミス追悼の意を込めて、ソロコーナーで演奏された、言わずと知れた(?)代表曲『The Cat』も素晴らしい。
しきりに髪をたくし上げながら世界に没入していく吉田美奈子の姿は、遠目からでも魅入られてしまうほど異形。一声発するだけで場の空気をガラリと変えてしまいます。メロディからして形式としてのブルースではないはずですが、それでも同様のものを想起せずにはいられない、けれども哀切に耽溺しているとも言いがたい不思議。「気高い」や「荘厳」などと大げさな言葉すら浮かびます。かと思えば、前日に転んで左指の骨にヒビが入ったとか何とか、間の抜けたMCでゲヘヘと笑っているものですから、結構なギャップがあります。それゆえにピリピリとした感じはなく、終始和やかな雰囲気でもありました。楽屋の近くで見ていたので何度か間近ですれ違ったのですが、両者とも小柄な人で、特段の思い入れがない自分にとっては、見ようによってはオーラもへったくれもありません。小さい会場ではありがちなことなので既に慣れたつもりではいたものの、これに限らず、ステージに立ってこその人達なのだなあと不思議に思ってしまいました。もちろん畏敬の念を込めて。終盤の迫力は特に圧巻で、おいおい何歳だよ、と思ってしまうほどの会場全体を包み込んでしまうような歌声でした。うるささとは無縁の豊かな声量を以って余裕綽々に紡ぎます。恐れ入りました。不勉強にして知っている曲が2,3曲しかありませんでしたので、今度の機会までには可能な限り聴いておきます。ぜひとも次回はバンド編成で観たいものです。いい経験になりました。感謝。