セピア色に染まる街並み。なだらかに広がる青を優しく照り返す夕陽が次第に境界線を溶かしてゆきます。
橋の中央にひとり凛とたたずむ松浦亜弥。ありし日の物語を紡ぐ語り部


どれほどの時間が経過したのでしょうか、橋梁の照明が鈍い灯りを放っています。闇に塗り込められつつあるシルエットが留めるのは、今日という日の残滓。山の端に沈みゆく夕陽が照射する、ひときわ鮮烈な輝きを彼女は目にしたでしょうか。荘厳でありながらどこか物悲しさをも湛えた、永遠とも思える刹那の瞬きを彼女は目にしたに違いありません。美しさのみに収斂されないその明滅を前にして、人はただ黙するよりほかありません。音もなく現る茫洋とした心象風景。訳もなく楽しかった日々、訳もなく物思いに沈んだ日々。八雲神社、床屋の角にある公衆電話、思い出を喚起してやまない風景。少し癖っけのある髪を撫でる風、そこに住まう人々の息吹、鼻腔をくすぐる街の匂い。記憶の中で無定見に弾ける幾千もの泡沫。呼び覚まされる答えなき問い、あるいは問いなき答え。胸に去来する数多の姿なき感情が不意に陰影を伴い名状しがたい孤独を誘発します。
自らの全てを育んだ地に自らの意志で留まるということは、事物の細部に固着した想いの全てを受け止めながら、今なお感情を揺さってやまない人の面影を背負っていくことを意味します。自身が信じるに足る強さを身に付けたがゆえの決意なのか、あるいは、全てが甘美な追憶へと変容するまで時の移ろいに身を任せたのか。別離を余儀なくされた要因は本当に家族だったのか。それとも・・・。


幸福な諦観を湛えた微笑みを残し、彼女はその場を後にします。
過ぎ去りし時を一身に背負った橋梁は、まるでどこまでも続くかのよう。次第小さく、ついには一点に収束するその直線を何度も目でなぞるうちに、名状しがたい感傷に襲われます。つぶやきは落陽に溶け、吹き抜ける柔らかな風が闇の匂いを運びはじめました。彼岸にいざなうかのような美しくも閉ざされた世界は、おそらく存在しない。にもかかわらず、今も休むことなく息づいているような錯覚に捉われるのはなぜでしょうか。


あなたが好きだと言ったこの街並みが 今日も暮れてゆきます。
二人で歩いた街 夕陽がきれいな街。
松浦亜弥の『渡良瀬橋』。