松浦さんが愛聴しているという、平井堅の『世界で一番君が好き?』が収録されているアルバムをレンタルしてきました(買えよ)。ハリー・コニックJr風味のジャジーでアーバンな感じですかね(意味不明)。
彼女が絶賛する歌詞の内容はともかくとして、デビュー直後であれば、この手の楽曲を挙げることはなかったのではないでしょうか。山下洋輔トリオや村田陽一バンドと共演した体験が何らかの影響を及ぼしているのかもしれない・・・というのは希望的観測にすぎないのですが、今後彼女が取りうる道は多々あれど、その中の選択肢のひとつとして存在できるのであれば、それもステキなんじゃないかとは自分は思ってます。
いつの日か、土岐麻子の『STANDARDS』のような空気感のあるコンパクトなカバー作を聞いてみたい。身の丈に合わないだとか、求められるものと異なるだとか、そうした意見は当然あるでしょうし、そもそも、彼女が志向するのかどうかが最も怪しいところです。なにせ己の好みを一方的に述べているだけですから。でも、機会があるのなら『YOKOHAMA SING A SONG』をもう少し推し進めた楽曲をやってみるのも面白いんじゃないですかね。その際は、金を惜しまずムダにジャズメンを集めましょうや。そこで真っ先に浮かび上がるのは村田陽一氏とその人脈。氏をロリコンと勝手に仮定した場合、周囲にキッズ諸氏を解き放って騒がせるという方法が有効でありましょう。氏を篭絡せしめんとする遠大な計画です。そこでメロメロにしておいて、タダ同然でこき使うというのはどうでしょう。と言われてもアレですが、ハロプロ全体にとっても悪い話ではないはずです。法に抵触しますかそうですか。深い意味はありません。


ついでに、加藤登紀子のアルバムもレンタル(だから買えよ)。『100万本のバラ』を歌いこなしたときこそ松浦亜弥の完成するときだぁ!、と訳のわからぬことを一時期考えていたくせにまともに聴いたことがなかったのです。そこで結論・・・ムリ。こりゃ歌えねぇ。アルバムを通してストリングスが大仰すぎて古めかしく感じる部分があるのは否めませんが、やはり歌力は只者ではありません。通して聴くと疲弊します。
映画「紅の豚」のエンディングで使用されていた『時には昔の話を』は、全共闘世代に共通する体験や心象風景を描いた歌であるらしく、こちらもムリ。そもそも映画自体がその時代を多分に意識した作品であると言われていますが、「お金はなくても/なんとか生きてた/貧しさが明日を運んだ」やら「見えない明日を/むやみにさがして/誰もが希望をたくした」やらの節は、加藤さんであるからこそリアリティが生じるのであり、松浦さんが歌えば、たちどころに小便臭いメルヘンと化してしまいます。溺愛ゆえに少しばかりウルッとはくるけれども、この曲に関しては「何かを乗り越えられた人にしか歌えないような気がするんですよ」などとシタリ顔で言われた日にゃ、ウソつけ!と張り倒し・・・否、頭をナデナデします。つーか、歌うはずもないか。深い意味はありません。