このところ視力の低下が甚だしく、もはや回復しえぬと実感するに至りました。これまでメガネを用いたことがないのを密かに自慢していた自分ではありますが、このたび免許の更新というのっぴきならないイベントを控え、このままでは到底パスできないと知って、ついに観念いたしました。
とは言っても幼少の頃より視力は低く、5歳にして両目合わせて0・5に到達せぬありさま。ゆえにその頃からメガネの三文字が脳裏から消えたことはありません。それは「メガネ君」なる典型的かつ非人道的な呼称が定着することへの原初的な恐怖でありました。現在はどうだか知りませんが、自分の幼少時代にはメガネを常用する者がまだ少なかったため、その危険性が十分にあったのです。
何ら対策を講じていないにも関わらず、なぜか両目とも1・2へと上昇したこともあったので、視力とは体調の良し悪しで上下するものであり、そうでなければ自分は特異体質に違いない、と頑なに信じるだけでなく、周囲に妄言を吐いていた時代がありました。そんなはずはない。


今も昔も視力検査は、右だの左上だのを指摘しなければならぬものだと思っていたのですが、どうやら最近のメガネ店ではヘンテコな機械を用いるようで、遠方に映る物体に対して焦点を合わすだけで詳細が判明するようです。メガネの恐怖から逃れるべく、学校で視力検査があるたびに「C」の位置関係を懸命に記憶していた、いじましくも哀しい戦術はもはや葬りさられる運命にあります。
結果は、右目が0・3、左目が0・1という惨憺たるものでした。追い討ちをかけるように、我が右目が極端な乱視であることも明るみに。取り寄せなければ適合するレンズがないとの説明を店員から聞くに及び、尋常ならざる事態だとようやく知った次第。
ひととおり視力検査を終え、なぜか店員と雑談。その会話の中で、初心者(?)にはコンタクトはお勧めしない、使い方によっては網膜を傷つけて後が大変、などと散々に脅かされたので、当初自分はコンタクトを考えていたのですが、急遽メガネに変更。そして、妙に人懐っこい店員のおっさんと共に、キャッキャ騒ぎながらメガネを選ぶ羽目になりました。やがてその店員が調子に乗ったのか、わけのわからぬメガネを勧めはじめたので、これは戯れであろうと合点してそのことごとくを却下。ところが、意外に本気であったらしく、彼は次第に落ち込んでいくのでした。もしや本気だったのか。しかし、ただでは転ばぬ店員、言葉巧みに高価なレンズを勧めてきます。さしもの自分も少しく心は揺らいだけれど、肝心の財布の中身は断じて変わらぬので、やはり断固として拒否。結局は一番安いものに落ち着いたのでした。それで良かったのかどうかは知りません。


最初の3日こそ無意味にメガネをかけたりはずしたりしてニンマリしていたものです。ところが、ごく一部を除いてそれを必要とする機会がないことに気づき、無事に免許の更新を終えてからは、あまり使用していません。時に便利であることは認めるけれど、これまで目にしてきたものが否定されているようで、あまりいい気がしないのです。装着したときに視力が上昇する爽快さと、外したときに下降する不快さを比較衡量した結果、よほどのことがない限りは、かけなくてもいいじゃないかという、実にまっとうな結論に至りました。そのため、レンズを通して見る世界に全幅の信頼を置くにはいまだ至らず、メガネをかけたままでは恐ろしくて外も歩けません。我ながらおかしな言い草だと思いますが。
これまで知らなかった世界の一端を垣間見れたのだ、と思えば決して高い買い物ではないでしょう。否、高い。無知は思わぬところで高くつくものです・・・のか?


・・・悪文ですな。