どこぞの祭りへと赴く浴衣姿のお姉さまに見とれ、世にはびこるガキども、もといお子様方をおっぱらいつつ、フラフラと後を尾けているうちに「愛情イッポン!」の存在をしばし忘れた。ふいにそれと気づき、もうあかん我が大望はここに潰えたりと遂に観念した。明日を生きる希望が失われ憔悴の果てに帰宅したところ、野球中継が必要以上に長引き、それに伴って愛しきあやや嬢の番組も後にまわっていたので、ぎりぎりで事なきをえるに至った。
当方、観るだけに関しては野球を好む者であるけれど、無意味な時間の延長に関しては決して心よく思っていない。しかし、今日ばかりは褒めてあげようと思う。よくやった。


今だから言うわけではないけれど、実は中日ファン。とは言っても、地べたをモソモソと這っていた高木監督時代からのファンなので、さほど歴史は長くない。詳しくもない。ついでに言うと、誰も興味はないだろうが、何を隠そう今中慎二氏のファンである。
何年か前、巨人と中日で優勝争いが勃発して最終戦までもつれたことがあった。後に10・8とも称されるその大切な試合で先発を任せられたのが彼であった。確かボコボコに打たれて6失点でマウンドを降りたはずだ。ムキになってストレートを放り続けたため、落合氏に痛打された記憶がある。小気味よくストレートを投げ込むのが今中氏の特徴であったけれど、その試合では裏目に出てしまい、結局、そのシーズンは巨人の優勝で幕を閉じた。
試合後、勝っても負けても愛想のない彼にしては珍しく目を赤く腫らしていたので、その胸中を思って自分まで泣きそうになった。そんな彼もやがて肩を壊し、遂には引退するに至った。人を喰ったような90キロ台の緩いカーブや、フォークだかチェンジアップだかシンカーだかわからない素人目にも落差が少なくて心もとなかった変化球も、140キロ前後の切れのいいストレートがあればこそ。120キロ台のストレートしか投げられなくなっては、もはや残された選択肢は引退しかなかったのだろう。
幸いなことに引退試合を観ることができたので、もはや思い残すことはありませぬ。あなたの勇姿を僕は忘れない。あぁ彼は今いずこに・・・。


と書いたところで、「愛情イッポン!」の録画が無事に完了した。途端に見る気が失せた。