「ウチらも永遠に17歳じゃいられないよ」


電車に乗っているときのことです。振り返ると女子高校生と思われる二人組がお喋りをしていました。TOEFLの結果次第では留学も視野に入れているらしく、いずれは上智大学への編入も真剣に考えているようでしたが、世の中それほど甘くないよなと言ったのち上述の言葉であっさりと会話を締めくくったのでした。恥ずかしながら英語のひとつも解せない自分にしてみれば、それは驚き以外の何物でもなかったのですが、彼女達にしてみれば全ては慣れであり単調で退屈ですらあるというのです。高得点を得ているにも関わらず、さも瑣末事のように話していた姿が印象に残っています。彼女達にとって17歳とは、夢とはいかないまでも目標に達するまでの通過点にすぎないからなのでしょう。それは純粋な希望とも単なる諦観ともつかぬ、少し大人びた言葉であったように思えます。


フツウであることを頑なに拒み、フツウでないはずの未来の姿に想いを馳せてやまない。その反面、フツウの中に埋没する自分の姿を遠目から確認しては胸をなでおろす、そうした振り幅のもっとも大きい季節が「2度と戻らない17才」であったのかもしれません。状況こそ著しく違えど単調な日々の生活に飽いて、名状しがたい焦燥に駆られ肩に力が入っていたかつての自分を思い出してしまいました。一事を以って17歳を一般化して捉えるのは愚かであり、ましてや目覚しい活躍を見せるあなたに当てはめるなど不毛なことだとは知りつつも、自分はそう思ってしまうのです。


自らを歌手だと言ったその日、あなたの姿に頼もしさを覚えて嬉しくて仕方がありませんでした。そして実際、18歳を目前にして内面的にも外面的にも著しい変化があったように自分には思えるのです。
幸いにしてあなたにとっての17歳は決して平坦なものではなかったでしょう。未来を見据え、まだ見ぬ自分を追い求めることに忙しいあなたですけれど、時には受け入れがたく釈然としない想いを抱いたこともあったのではないでしょうか。他者の目に映る自らの姿を戸惑いながらも受け入れていく過程で得られたものがある反面、零れ落ちてしまったものもあったことでしょう。いずれそのことに想いを馳せる時が訪れるのかもしれません。けれど、もし既に気づいていたとしても、それを声高に主張する必要などありません。あなたにとって大切な人に聞かせてあげればいいと思うのです。


望む望まないに関わらず、永遠に17歳ではいられません。身を置く環境に相違はあれど、自分が電車の中で見た女子高生とあなたとの間に本質的な違いはないものと思います。年齢相応であると同時に、ひどく大人びた面も持ち合わせていることでしょう。
あなたにとっての17歳は、めまぐるしい日常の中で人知れず密やかに醸造される不確かな目標に達するまでの単なる通過点にすぎず、既に過ぎ去ってしまったものなのでしょうか。いえ、誰しもに訪れ誰しもがそうであるように、その時は大事に積み重ねられたのだと思います。そして、これから先も積み重ねられていくことでしょう。


あなたの思い描くあなたでありますように。
あなたの思い描く歌い手でありますように。
18歳の誕生日おめでとうございます、松浦亜弥さん。