Japan Blues Carnival 2004@CLUB CITTA' (参)


冒頭で、数ヶ月前にオーティス・ラッシュが脳梗塞で倒れたこと、その影響で当初予定されていたライブの大半をキャンセルしたこと、リハビリ中であるにも関わらず本人の強い希望で来日を果たしたことが告げられます。


介添えなくしては独りで歩くことができず、両肩を支えられステージに辿りつくオーティス・ラッシュの姿に、その事実を知らなかった僕と友人は声を失います。かつて絶賛されたというギター奏法は見る影もなく、小刻みに震える指でルート音付近を撫でるのが精一杯で、その音が観客席に響き渡ることは最後までありませんでした。また、萎縮する声帯に鞭打って搾り出す歌声は、時に翳りの中に鬼気迫る力を感じさせはしましたが、やはり一聴して病を負った者のそれとわかりました。


MCにおいて執拗に繰り返された「サンキュー」の言葉が印象に残っています。それが後遺症によるものなのか、会場の過半を占める日本人に伝えうる最良の言葉として選択されたものかどうかはわかりません。けれど、その「サンキュー」の一言に託されたものに思いを馳せると自然に目頭が熱くなりました。しきりに視線を上に向ける方が何人もいたことから、同じ思いを抱いた人が数多くいたものと推察します。
けれど、僕はその姿のみに感動を覚えたわけではありません。往時の姿からは比ぶべくもない現在の姿との間に横たわる深い溝に涙したわけでもありません。
後遺症を負った悲壮感。背負い続けようとする確固たる意志。それでも歌い続けようとする強烈な使命感。いずれか一方に寄りかかることなく全てを受け入れようとする姿。かくも重き業をひとりの人間が背負っているという事実や、それでも吹き消されることがなく静かに揺らめく情熱などの全てに純粋な感動を覚えたのです。
そこには、古びた感傷に回収されることを許容しない毅然とした姿がありました。持ちうる全てを出し切ろうとする強い意志は、時に技巧を超えた地点で響き渡るのです。


オーティスの意図を汲み取ろうと表情を覗いながら、親友のカルロスが音を紡ぎます。言葉はなくとも、そこには対話が存在していました。これぞブルースと言いたくなるむせび泣く音色は、言葉にすると陳腐だけれど、まさに身を削るかのようでした。
もはや黒人特有としか評しようがなく、今回登場したバンドの中でも頭ひとつ抜けていた重厚なドラミング。かくも硬質で強靭な音が出るものなのかと驚いた超絶技巧のピアノ。スラップベースから生み出される武骨なフレーズ。バッキングに徹することの多かったもうひとりのギター奏者。それら全てがステージ中央に鎮座するオーティス・ラッシュの存在に回帰していきます。彼らの集中力は他のどのバンドよりも高く、その演奏は筆舌に尽くしがたいものがありました。共に演奏できることの喜びを噛み締めるかのように僕には映ったのでした。